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No.29 「昭和100年」 2025年 1月

新年おめでとうございます❢

「降る雪や明治は遠くなりにけり」(中村草田男) 昭和6年(1931)1月の東大俳句会で詠まれ、高浜虚子によって「ホトトギス」に掲載された句です。 草田男はこの句について「私が貴重な消えることのない根本精神として教え込まれ植えつけられたのは『恥を知れ』という一精神であった。 それは、直ちに以て『明治の精神』と唱えることができるであろう」と述べています。 即ち遠くなったと感じたのは、明治という時代の「精神」であり、自ら「明治人」としての誇りがこの句に込められているのです。

 今年、令和7年(2025)は、昭和に換算するとちょうど「昭和100年」です。 私の様に、昭和の時代に生まれ、青春時代を過ごしてきた者にとっては、なんとも感慨深い年です。 平成~令和と既に二度も元号が変わり、平成元年(1989)生まれの人間が36才という壮年になる年を迎え、まさに「昭和は遠くなりにけり」と呟きたくなる心境の昭和人は多いのではないでしょうか。

 ただ、草田男の頃と異なるのは、温暖化の進展に伴いこの東京で「降る雪や」と言う上の句は幻になりつつあるのと、「明治人」のような矜持と誇りを我々「昭和人」は根底に持ちうるのかという点であります。 

 昭和元年は大正天皇が大正15年(1926)12月25日に崩御し改元されたので、実質の昭和の始まりは昭和2年(1927)でした。 その年には金融恐慌が起こり、昭和はいきなり暗い影に包まれてスタートしたのですが、一方で日本初の地下鉄が上野~浅草間で開通したり、小田急の新宿~小田原間、西武鉄道の高田馬場~東村山間が開通するなど今でも東京都民や近県の通勤・通学者がお世話になっている鉄道で大きな発展があった年でもあります。 

 今に繋がる話で言えば、宝塚少女歌劇の最初のレビュー上演、早稲田大学の大隈講堂竣工、海外では量子力学の端緒となるハイゼルベルクの「不確定性原理」の発表、ベーブルースの本塁打60本新記録達成の年でもありました。 爾来、昭和は、軍部の台頭、大陸への侵略、太平洋戦争~第二次世界大戦への突入、敗戦、GHQによる統治、民主主義への脱皮、復興、高度経済成長、大衆文化/娯楽の浸透と激動の時代を歩み、バブルの絶頂期に終幕を迎えるに至ります。

 思い起こせば、昭和64年(1989)の1月7日に昭和天皇が崩御され(その前年秋頃から容態の悪化が伝えられていました)、2月24日に大喪の礼が新宿御苑で行われるまでの半年間は、不動産価格の高騰や、ディスコ全盛に象徴されるような世相に一抹の危うさや、きな臭さを感じていた自分を思い出します。 自分の中の昭和の陰影には、「明治精神」と比肩できるような誇らしい「精神」はなかなか見い出せず、祭りや宴の渦中に感じるような浮かれ「気分」と、祭り・宴の後に訪れるどこか虚ろな「疲労」が漂っています。

  このような昭和を彩ってきた「空気」には「デカダン的」懐かしさも感じますが、現在の日本を支える熱狂的なエネルギーも確かに存在していたと思います。

 人生100年時代、ひとりの人生を展望・総括するのさえ難しいのですから、ひとつの時代を括り、新しい時代をどう築くのかを考えるのは簡単ではありません。 ただひとつ言えるのは、自分の親世代を見ても、明治の「恥」を知れに対し、戦争~敗戦という価値観のひっくりかえる体験を経て、迷走や混乱の中を歯を食いしばって復興や成長に邁進努力し、グローバル社会にも貢献しつつ、一所懸命幸福(豊かさ)を目指してきたのが昭和人の精神ではなかろうかと思うのです。 

 令和の時代がいつまで続くかはわかりませんが、「昭和人」の我々も、「令和の精神」と後の時代に言えるような、世界から期待される新しい日本にふさわしい文化力や日本らしいイノベーションの発揮に、少しでも貢献できる行動をしていきたいと考えます。

 初夢は「一富士、二鷹、三茄子」と江戸時代から言われてきました。 私自身が撮影した新春の富士山をお届けしたいと思います。

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