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No.27 とこわか 2024年 11月

「いにしへの姿のままにあらためぬ 神のやしろぞたふとかりける」(明治天皇御製) 明治時代後期、当時の芳川顕正内務大臣と田中光顕宮内大臣の二人が、伊勢神宮の式年遷宮に必要な御用材の不足を理由に、土台に礎石を置き、コンクリートで固めれば二百年は保つことが出来ると、明治天皇に上奏したところ、明治天皇はこの上奏を退け、質素な造営に祖宗建国の姿を継承すべしと、諭(さと)され、二十年ごとに斎行される式年遷宮の大切さを説いたと伝わっています。七世紀終わりの天武天皇・持統天皇の御代以来1300年に渡り続いてきた式年遷宮の伝統が潰えることなく繋がった英断となったわけです。
日本の神社で一定の年数を経るごとに(これが式年の意)神を迎える社(やしろ)を遷す(乃至は新しくする)という儀式を継続している神社は伊勢神宮以外にも、塩釜神社(宮城県)、穂高神社(長野県)、上賀茂神社(京都府)、住吉大社(大阪府)など存在しており、そこに一貫して流れる思想が「常若(とこわか)」です。 古くなったものを作り替えて常に若々しい状態で神を迎え、宿っていただく、そして永遠を保つという発想です。 諸外国の発想ではエジプトのピラミッドでも、秦の始皇帝陵墓や万里の長城でも、石や煉瓦などで頑健なものを作ることがサステナビリティになると考えますが、式年遷宮は逆に朽ちやすく簡単に壊すことができる木で作り、それを定期的に作り替えることで「永遠の若さ」「永遠の清浄」が保てると考えるわけです。 別の見方をすると、「常若」の根底にあるのは「継続」であり、「成長」ではないのです。 「成長」を目的とすることによる「拡大」や「争い」、「収奪」や「乱獲」ともすれば生まれがちな「利益増大」や「利害の対立」は求めず、また同時に誇大宣伝や誇張もせず、粛々と1000年以上続く行いを精神の柱として継続していくことが知恵として受け継がれていることに目を瞠ります。 「常若」とは、私は日本流の「イノベーション」だと思っています。 そこで実現する革新は「温故知新」的な革新であり、「壊れやすいものは壊し」「壊すべくあるものは壊し」、また「新しい息吹で刷新すれば永遠に持続する」こういう和のサステナビリティが世界や人類を救うカギになるかもしれないと感じます。 そして「新しさ」には新規性だけでなく、清々しさ、清らかさ、美しさ、即ち「清新性」があることが、「常若」即ち日本的イノベーションの特徴であると私は感じています。 現代日本文化に多くの関心を持って訪れる海外の皆さんが「Eclectic」とか「Crossover」などと異口同音に、「伝統とモダン」「懐古と斬新」の両立する日本の社会や文化を讃え感銘する所以なわけであります。
※京都平安神宮にて(鳥居と二階建てバスと人力車)

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