父の背中は小さく大きい
半年ぶりに実家に帰省した.父は僕が帰省すると,決まって一回は無愛想に外食に誘ってくる.特にやることもなくサッカーボールを壁に当ててた僕は同じく無愛想に返事をした.地元福井の名産「ソースカツ丼」.福井県でカツ丼というと100人中100人がソースカツ丼を思い浮かべる.一般のカツ丼を指すさいには「卵とじカツ丼」という.そのソースカツ丼を売りにしている有名店.これも同じく,福井県民に質問すれば100人中100人が口を揃えてこういう.「ヨーロッパ軒」.福井県民が帰省したら必ず行くのではないだろうか.
父は何も言わずお決まりのヨーロッパ軒に車を走らせた.いつも同じ道順なのですぐに察しがつく.車内では,普段母の謎の圧力から家ではほとんど喋らない父が,英語の教科書の文章のような質問をしてくる.「大学は楽しいか」「バイトは何してるんや」「友達はできたか」など.少し照れながら話してくるのは内気な父らしい.その車内の空気を僕は気に入っている.普段話さない父と話す時間はとても落ち着くからだ.
目的地に着くと僕は「カツ丼」を注文.父も変わらず「カツ丼セット」を注文.体感,十数分して商品が出てきた.食事するときは基本無言な父.自ずと僕も無言になる.いつまでも変わらない味と時間に僕はカツと共に幸せを噛みしめていた.ものすごくゆっくり流れる時間.店内で流れる聴いたことのないBGM.ビールのポスター.熱そうな急須.一つ一つに意識を向けることができる.じっくりと流れる時間に高校の頃の国語の授業を思い出す.父は相変わらずとてつもない早さで完食.つまようじに手を伸ばし無言で僕を待った.僕が食べ終わると一拍置いて「行くか」と言い伝票を持った.この十数年長いスパンで行われる,ある種のルーティンまがいのものを僕は大切にしたい.
家に着いた.助手席側に玄関があるので僕の方が早く靴を脱ぐのだがその日は違った.庭に出てるサッカーボールを取りに行った.ボールを足で取り,玄関に向かおうと振り返ると父の背中が遠くに見えた.あまりにも小さかった.猫背だからだろうか.遠近法だろうか.となぜかその事実を否定する口実を無意識のうちに頭の中に並べていた.父という存在は,大きい.家庭内では一番威厳があり,権力があったからだ.そのイメージは今やイメージでしかなくなった.父は僕の父である以前に人間で,老に逆行できるわけもない.父はもうすぐ60歳になる.僕はものすごく悲しい.死に着実に近づいているからである.あの二人でカツ丼を食べる時間を,時間が止まったと錯覚するくらいゆっくり流れる時間をいつまでも過ごしたい.いつかは僕が父を「ヨーロッパ軒」に連れて行くのだ.
父の存在はやはり大きい
父の背中は大きく、小さい