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「努力」「無理」 区別はついているか?

「努力」忍耐と集中が必要だがやりたくない事ではない。
「無理をする」やりたくない事をする。好きな事であっても限度はある。

と明確に区別ついているが、これが区別ついていないなら実に可哀想だ。そして仕事とは往々にして後者である。しかし、金がもらえるから辛さと金をトレードするという考え方でチャラとなる。

※インスパイア記事


割に合ってない

これが辛さに比重がいくなら割に合ってないというだけの話で、大したことはない。

大した事ではないのだが、選択肢がないのだ。泣け、突っ伏せろ。もうこれは、そういうものなのだ。
若いうちは色々経験できるが、年老いていくにつれ、どんどんなくなっていく。運が良ければ適正最大値の職を見つけられるだろう。しかし、ほとんどの人は1番マシなものを選ぶことになる。その1番マシなものが見えた時に、1番マシだと思えた時、すでに1番マシなものは選べないなんてのは珍しくない。

チキンレース=開催

筆者は職人のような、好きなものを職にするという考えが心底、嫌いだ。うんざりしている。
その無責任な言葉にどれだけの人間が夢みて、無謀に散っていったことか。
好きなことは好きなこととして、適正に合う嫌いでも金になる職も視野に入れて欲しい。

昔は、「それでは食っていけないから」と専門的な手に職とやらを身につけるのが基本だった。今は、やれギフテッドだの、やれ多様性だの言われて、好きなことや、できることしかやらせない。なんてザラだ。

いいのかそれで。

  1. 絶望的に適性がないことと、

  2. 少し苦手。

ならば、2.の後者の方がだいぶマシなはずだ。

やはり、よくない。

いいか、よく聞いておくのだ。「ダメだった」で終わるな。ダメだったレベルまでみて基準をつけ己を磨け。それが失敗した時の研鑽の積み方だ。

ダメだった度10段階で 8なのか 5なのか、

その違いに着目するのだ。マシとは「ダメだった、でも」、「でも」という言葉が付きやすい。微妙な違いに気づけたなら、「ダメだった」というガッカリと落胆の日々から解放されるのではないか。

好きなことは素晴らしい

好きなことはな。確かに素晴らしく尊いものだ。それゆえ、つぶしが効かないことが多い。つぶしが効かないとは「ダメだった時」に応用できないってことだ。自分でセーフラインを構築できなかった人間というのはなかなかに惨めな思いをする。マシな仕事、マシな道を選んでいた方がよかったと後悔するかもしれないのだ。

しかし、そんな事で二の足を踏んでいてもしょうがない。足の動く方向へ不安を感じながらも進むしかない。

好きな道

マシな道

どちらを選んでも後悔するだろう、好きに選べ。
このチキンレースで勝者を決めるのは己自身だ。

気持ちよく地獄にゆけ

好きな道を選んだ諸君、努力に身を捧げ、まい進したまえ。
そして、釜茹でになって、串刺しになるサバイバーを自覚せよ。
背水の陣だ。失敗したら潔く果てろ。

マシな道を選んだ諸君、無理しただけ、うまくケアするのだ。
そして、窮地を脱し、火刑を逃るるルーティーンを構築せよ。
長蛇の陣だ。痛みに耐えてメシを食え。


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