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本がファッションではダメなのか?

ここ数日、本がファッションではダメなの?というQが頭の中を占めている。

「ファッション」という言葉が揶揄として使われる時は
上辺だけをすくい取り本質を理解する気がないという意味なのだと思うけど、
本の本質とは何だろう。
著者の考え?書かれていることをきちんと理解したり、書かれていないが読み取るべき背景を汲み取ること?

無理だろ、って思う。
いや無理ではないんだけど、基本的にはその姿勢なのだろうけど、それだけを目指す読書は単純に楽しくない。

わかるとか学ぶとか置いておいて、もっと気軽に触れて、正しくはないのかもしれない、軽薄かもしれないフワッと沸いた感情も大事にしたいというか。

とはいえ私は数年前まで「ファッション読書」アンチだった。「○○の本を読んでいる自分かっこいい、とでも思ってるの?」「本当に良さをわかってんの?」みたいなやつ。実際に誰かに言ったことはなくても、つい心の中で思っちゃったことは…ある…

恋人を容姿で選ぶ人を軽蔑し「私は性格重視。見た目なんて関係ない」と主張する人のようだ。「私はこの人の内面を見ている。わかっている」という自己満足と、不毛としか言いようのないマウンティング。

確実に何かをこじらせていたのと、自分の読解力や読書量に不足を感じていて、コンプレックスからくる同属嫌悪のようなものだったと思う。ああ、最低…

それが、色々な人の読書観に触れたり、自分の読書を淡々と進めていくうちに、考えが変わってきた。「見た目なんて関係ない」は大嘘だし、ある面だけを見てすべてを「わかった」気になるなんて、おこがましいにもほどがある。

当たり前のことだけど、本の読み方も付き合い方も、その人の自由だ。

今日はこのワンピースを着てあの小説を読みたい、とか
週末の旅行はこの本をカバンに入れておきたい気分(大抵読まない)、とか
装丁がかっこいい本だけリビングに面陳列で並べる、とか
「金閣寺」を美の観念の物語として読み、2回目は童貞のリビドーの物語として読んでみる、とか。

今の時代、本(読書)は「おしゃれなライフスタイル」に欠かせないアイテムのひとつとして扱われてもいる。書店、雑貨、カフェの併設ショップはすごく増えたし、古典文学の文庫本が、若い人が手にとりたくなるようなデザインの新装版で出ていたりもする。ファッション雑誌の書評コーナーで、お!っと思うような選書にも出会う。

「ファッションとしての本」に、もっと別の、あるいはこの流れを発展させる可能性がないだろうか。

それは誰かの気分を害するかもしれないけれど、「誰か」を気にするのをやめた先に、何かがある予感がしていて。

とはいえ、無知なために何かを批判したり、命に関わることについて誤った情報を流したり、誰も幸せにならないようなことはしたくない。

「本は自分を高める(アゲる)もの」ということを、ポップに、ライトに、ミーハーに、ポジティブに伝えられないかなあ。

SNSで流れてくる偏愛コスメレビューとか、近いかも。

と言いながら、「闇雲に消費されるのはやだな…」という偏屈な部分が依然あるのだけど…そこを壊すべきなのかも。

今度なにか発信してみようと思います。


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