なぜ音読をするのか

 音読を始めたのには大きく二つの理由があります。まず一つ目は教皇フランシスコがツイッターで聖書を数分でもいいから読むようにと呼び掛けていたことです。そしてもう一つは、自分自身の学びのためです。

 2019年にローマ教皇が来日される一年前、そのちょっと前から私はツイッターを始めていてローマ教皇がツイートされていることを私的に訳してみたり、発表される公文書についての情報を読んでいたりしました。来日の際にも教皇フランシスコは特に若者のことを気にかけていたのですが、ツイッターでもそれは常日頃感じていたことでした。教皇はスマホを眺める時間に聖書を数分でも読めば、あなたの人生は必ず変わるというような趣旨のツイートをされて、はっとしたのです。人生がどう変わるかというのは御言葉とどう出会うかということであり、その時に聖ヒエロニムスにも言及されていたように思いますが、「聖書を知らないことは、キリストを知らないこと」なのです。
 ちょうどそのころにツイッターにスペース機能が追加されて、先のツイートをきっかけに夜の9時半から三十分ほど聖書の音読を始めました。30分というのは、当時は録音機能がなかったので、30分音読していれば、時間を合わせて数分でも聖書を聞ける人がいるかもしれないと思ってのことです。しかしこの30分というくくりで読んでいくと、大体福音書をそれぞれ1週間くらいずつで読み終え、どのくらいの分量が読み進むのかが体感としてわかるようになるという思わぬ収穫もありました。途中からは録音機能も実装され、最初に口語訳で読み始めたのを一周し、二周目からはルビ付きのフランシスコ会訳の中型を使用するようになりました。フランシスコ会訳には充実した解説が付されており、学問的にも司牧的にもおすすめですとそれぞれの解説の箇所で宣伝していたのは懐かしい思い出です。フランシスコ会訳については以前ノートを書きましたのでこちらをご参照ください。

 聖書の音読は配信が滞りがちですが、気負うことなく、以前のような形で、今度はツイッターのスペースではなく、ポッドキャストで配信出来たらなと思っています。

 聖書のほかに、ギリシア語の音読もしたいと考えています。大学の時の古典ギリシア語の授業というのは、非常に怖い先生に習ったもので、宿題を当てられて読み間違えたらどうしようと毎回びくびくしながら授業に出席していた覚えがあります。結局ものにはならず、それでも何とか読めるようになりたいと英語の新約ギリシア語文法などの音声教材やユーチューブなどで頑張っていました。ひょんなことから学び直しの機会が与えられ、授業で当てられても恥ずかしくないくらいには音読できるようになりたいと思い、それなりにはちゃんと音を拾って読めるようになりました。それでも授業で当てられれば緊張はしますし、練習ができていないとつっかえたりもします。他の学習者の音読を聞いていて、「そこは有気音だ」とか「そこは無気音だ」とか突っ込みを入れて言い直してしまいたくなることは多々あります。しかしこれは他人事ではなく、自分でも「あ、間違えた」と思って読みなおしたりもします。そんなツッコみが入るかもしれないことを念頭に、授業で当てられたら音読するくらいのスピードでギリシア語も音読しようと思ったというわけです。どの程度皆様のお役に立てるかはわかりませんが、とりあえずクリトンの音読と、ヨハネ福音書の音読から始めたいと思っています。

 二つ目の理由として掲げていた自分の学びのためというのは、自分自身を磨くためでもあり、自分が聖書やプラトンのテクストをよく理解するためでもあります。将来的には、プラトンのテクストならステファヌス版のページ数で3ページずつくらいまとめて読めるようになれたらいいなと思っています。さあどうなることやら。乞うご期待。

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