ヨゼフ・ピーパー/稲垣良典訳『愛について』(エンデルレ書店、1974年)を読んで。
愛について。それはいくら語ろうとも語りつくしえないものである。むしろ、愛することによってはじめて人は愛を知るというのがフロムがその名著『愛するということ』において語ることである。愛についてはさまざまに語られ、愛をめぐる古典は数知れない。愛がどう扱われてきたのかを祖述する今道友信の『愛について』、愛することそのものをめぐる省察を積み重ねるフロムの『愛するということ』、あるいは愛の古典たるプラトンの『饗宴』を挙げることもできよう。近年刊行された山本芳久氏の『愛の思想史』は、古典的著作に説かれるところの愛を私たちの日常の中で見出すことを問いかけている。しかしそのどれとも違うスタイルで愛について語る本がある。それはピーパーによる『愛について』である。
ピーパーはトマス・アクィナスの思想を積極的に現代に紹介する書き手である。その数々の論考は、枢要徳論、神学的徳論、余暇論、観想論、言語論、哲学の始まりとしての驚嘆をめぐる論考など、ギリシア哲学に馴染みのある読者であれば興味をそそられる論考の数々を発表している。本書『愛について』は神学的徳論、すなわち信仰・希望・愛についての省察の愛論を邦訳したものである。ピーパーの諸徳をめぐる省察は、単純に中世スコラ学的にギリシア的徳を読みかえるというものではなく、むしろ現代に深くかかわる問題として読み解いていくことに特徴がある。
本書に書かれていることの具体的な内容は本書そのものにおいて確かめてもらうしかないのだが、本書を読んでいて印象的なのは著者が引いてくる様々な古典とみずみずしく対峙していることである。古典を読み解くとなればともすれば月並みな紹介になりがちなのであるが、本書の叙述は愛という事柄そのものの問いかけへの著者の驚嘆に貫かれている。さまざまな言語で語られるところの愛を一つ一つ取り押さえながらその内実を確かめていく省察は、私たちの内にあって見落とされがちな尊い価値を思い出させてくれるものである。
愛とは何か。それは単なる好きという感情とは異なるものであり、それは存在の肯定と一人一人の意志を伴うものである。しかしその内実を一人一人が日々確かめなければならないものでもある。愛という事柄に対する著者のみずみずしい省察は私たち読者に数々の古典たる著作をどう読むかをも教えてくれる。例えばニーグレンやフロイトの著作は古典的著作であっても、その見方に偏りがあることもある。その具体的な論拠を一つ一つ示しながら積み重ねられていく省察は、読者もまた自らの目で古典的著作と向き合うことを求めてくる。古典的著作との対話を通してしか見えてくることのない地平へと読者を導く本書は、その本自体が古典たる著作にふさわしい内容を携えている。
稲垣良典氏は邦訳に際して著者に内容を確かめて補いつつ翻訳をされています。そのため刊行したものよりもアップデートされた内容になっています。とはいえ残念ながら絶版なので古書で手に入れるしかありません。価格も高騰しているので再販が望まれます。エンデルレ書店はすでに解散しているのでどこか別の出版社から復刊されないものだろうか。大学図書館では比較的容易に読むことができそうです。
英訳版は容易に手に入れることができます。以下のリンク先で具体的な内容を確かめることができます。