ヴィクトール・フランクル/赤坂桃子訳『精神療法における意味の問題』(北大路書房、2016年)を読んで。
本書はフランクル存命中に刊行された一巻選集である。フランクルの著作は膨大なものであり、ドイツ語でも英語でもその著作の全体を把握するのは容易ではない。フランクルの重要な著作でさえ、オリジナルの言語では手に入れにくい状態が見受けられる。私たちはともすれば当たり前に受け止めてしまうかも知れないが、日本で二つの出版社から著作集が組まれて容易に手にできるということ自体が特別なことと言えよう。本書のまえがきにおけるフランクルのホーボーゲン番号が必要かもしれないという指摘は誇張ではないのである。
フランクルが存命中に刊行された本書からは、フランクルがどのように受け止められ、何を読者に伝えたいのかが如実に伝わってくる。それはフランクルその人の魅力である。クロイツァーによるまえがき、講演録、学術論文、自伝的内容を含む新聞記事、そして監訳者による解説で構成される本書は、単著として別に刊行されている講演録や自伝に含まれる内容を盛り込んだ重要著作何冊分もが一冊にまとめられたものと言えよう。第二次大戦前の論文や新聞記事までをも含む本書は、フランクル自身が自らを、あるいは当時の人々がフランクルを、どのように位置づけていたかを正確に伝えてくれるものである。
フランクルは数多くの講演を残し、日本語訳で読める翻訳の大半がそうであると言ってもよい。フランクルの英文著作を紐解くと、学問的な文章であるにも関わらず、深く揺さぶられる。後に『それでも人生にイエスと言う』として刊行され、『識られざる神』にも再録される名講演が本書には含まれている。赤坂桃子氏の翻訳はちょうど英文著作を紐解くときに感じるようなフランクルの息遣いを再現するものであり、本文に挿し込まれた訳注はフランクルが意図する言い回しを正確に読者に伝えようとする配慮に満ちている。全編を貫くフランクルの律動を伝える翻訳は読者にフランクルとの出会いをもたらすものであろう。
残念ながら原著に含まれていた文献表は割愛されているが、その向きには解説でも言及されるバティアーニの仕事(没後論文集『虚無感について』の解説など)を参照してもらえれば良いと思う。割愛された文献リストの代わりに付された監訳者による解説は、今フランクルの思想がどのような可能性を持っているのかを現代の精神療法に照らして問いかけるものである。精神療法は刻々と変化している。臨床の現場にあってフランクルがどのような問いと向き合いその思想を深めていったのかをうかがわせる本書は、その核となるものを明らかにし、フランクルその人と出会わせてくれる類まれな一冊である。
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