クラウス・リーゼンフーバー『超越体験』(知泉書館、2015年)を読んで。
人間存在は超越へと開かれている。そのことを本書は力強く説いている。本書はリーゼンフーバー氏が様々な媒体で発表された論文を集めた論文集である。
本書には前身となる私家版のA5判サイズの冊子が存在し、それは文字通り発表された論文の抜き刷りに著者の手書きのページ番号が振られ、縦書きと横書きの段組みの論文が混在して本の両端から始まるお手製の本だった。その論文集に集められていた本が書籍として一般向けに刊行されたのが本書と言える。しかし単に形を整えたものではなく、釘宮明美氏の新しい編集の元、限られた形でしか知られて来なかった著者の仕事を読者に知らしめる著作集の開口を飾る第一巻なのである。一般向けには中世哲学史の概説書と研究書、それからドンボスコ社の信仰書でしかその仕事を確かめることができなかった中で、世界的な研究者としてのキャリアをスタートさせて日本に来られた著者の息の長い探求の道を確かめられる手掛かりが与えられたのである。
現在でも紀要などを調べればリーゼンフーバー氏の論文の多くは読むことができる。しかし本著作集は編者の釘宮明美氏が元のドイツ語の原稿に遡り既訳論文の訳語の統一を図っていることに特色がある。それは文字通り哲学書の翻訳と言えるものなのだが、読者はそのあまりにも自然な訳語の選びに本人が日本語で記したかのように思うことであろう。最終講義や『超越に貫かれた人間』はご自身の語られた言葉であると思うが、その思索の一つひとつを掬い上げるような既訳も含めた訳者の方々の翻訳は著者の凝縮された思考を生き生きと伝えている。
本書に採録されている論文は『超越体験』の書名からもわかるように、人間が如何に超越へと開かれた存在であるかを探求する論文を集めた宗教哲学論である。宗教哲学論とはいえ体系的に著述されたものではないことは著者が随所で指摘することではある。だがその思想が一貫して超越体験の一言に絶えず円環的に収斂していくことに読者は気が付くであろう。その省察の一つひとつを通して如何に人間が豊かな経験へと開かれているかを確かめられるのである。宗教に関心が抱かれない時代の趨勢にあって、著者の原理的な哲学的思考は虚無に慣らされた人々の思考の核心へと分け入り、私たちの経験の奥底にある体験を取り出すのである。言語論に始まり、ニヒリズム、技術論、人生の意味、神の存在、祈り、自由、霊性論と絶えざる深まりを見せる緒論は私たちの存在の意味を繰り返し問いかけ、生きることの意味を、そして超越へと開かれた人間の姿を確かめさせてくれるものである。
詳しい目次を知泉書館のサイトで見ることができ、定価で注文することができます。