若松英輔『神秘の夜の旅』(トランスビュー、2011年)を読んで。
夜は静謐な時間である。それは存在の深淵を覗き込む聖なる時である。本書はそのことを繰り返し思い起こさせてくれる本である。本書は著者がどうしても書かなければならないと突き動かされて著した論考に基づく越知保夫論である。越知保夫のことは著者の『死者との対話』で初めて知った。そこから岩下壮一、吉満義彦、そして越知保夫へとつながる思想的系譜を、またそこに遠藤周作と須賀敦子が連なることを知らされた。
この本を読む度に『古今和歌集』、『老子』、ガブリエル・マルセルを読むことへと強く促される。越知保夫という一人の批評家の生涯そのものが、私たち一人ひとりに自らの古典と向き合うことを強く促し、彼が見得たものを私たちもまた自らの目で以て確かめることを本書は促す。批評家誕生の現場にある越知保夫自身の苦しみへの共感を通して、彼が見出したものや見出だそうとしたもの、その憧れを本書は読者に提示してくれるのである。井上洋治神父が越知保夫の著作に出会い感動したその喜びの内実を本書は静かに語り続け、越知保夫を読者自身が読むことへと招くのである。
越知保夫の文は血で書かれている。そのことは比喩ではなく、彼の文に触れた時に感じる律動から伝わってくるものである。血をもって書かれた一文一文が彼をもって書かしめたヴィジョンを明らかにしていることを本書は伝えてくる。印象的な言葉の数々が同時代の思想家の姿とともに引かれるのであるが、それが元の文章の一節の中に配された時にもまた浮き上がって強烈な印象を残すことを読者もまた経験するであろう。繰り返しを読み過ごさないでほしいと著者は冒頭に注意を促すのだが、越知保夫の文章は同じ文が引かれていても決して同じことの繰り返しではありえない。そのことを著者は伝えようとしているのである。越知保夫の文章自体が汲めども尽きぬ深みを湛えた文章であることを越知保夫に向き合う読者は見出すであろう。
この世の喧騒に倦み疲れた時、静かに本書を開くとそこには闇の中に光を見いだすのである。私たちの一生によぎる言葉との出会い、言葉と出会うことによって読み手はどのようなことを感じ、日々を生きていくのか。ひとりの批評家の生涯を通して語りかける「生きることの意味」は探して見つけられるものではなく、生涯を通して見出だされるものなのである。誠実さを、愛を問いかけ、その生を刻むように文章を著した越知保夫の生涯に深くなぐさめられるのである。