星川啓慈『増補 宗教者ウィトゲンシュタイン』(法蔵館文庫、2020年)を読んで。

 近年、宗教認識論が注目されつつある。ウィトゲンシュタインは最晩年の著作『確実性の問題』の冒頭で蝶番命題(hinge proposition)という概念を取り上げ、そこでジョン・ヘンリー・ニューマンに言及する。ニューマンは晩年の宗教哲学論において、人々が「イギリスは島国である」という命題をどのように把握しているのかについての省察を加えている。そして現在の宗教認識論研究を牽引する論者の一人、ダンカン・プリチャードは近年の講演や論文の中でこの二人のことを積極的に取り上げている。私たちが何かを認識する基盤を問うこの分野は、宗教に関わる次元のみではなく、ニューマンが適切にもフロネーシスに言及するように、私たちの生き方に関わる認識上の問題なのである。

 ウィトゲンシュタインは亡くなったときにカトリックの葬儀を希望し、親しくしていた人々の中には、エリザベス・アンスコムやピーター・ギーチやハーバート・マッケイブなど、カトリックの信仰者もいる。それでは彼自身は自らをどのような信仰者として見做していたいたのかといえば、それはあまり研究上で語られることはなかった。しかし、アンスコムやマッケイブはカトリック信仰を有する哲学者として宗教的問題に積極的に発言し、分析哲学の分野ではファーガス・カーやジョン・ホールデンやアラスデア・マッキンタイアが彼らの影響のもとに信仰をめぐる問題を神学的視点から現代的に掘り下げている。

 日頃注目されることの少ないウィトゲンシュタインの宗教哲学に焦点を当てる本書は、彼の生涯の根本命題を解明するうえで大きな手がかりを与えてくれる。著者の読み解きによればレイ・モンクは彼の宗教的言説を罪の意識に解消する読解を提示し、それが宗教者としてのウィトゲンシュタインについての言説において広く受け入れられているように思われる。しかし、本書において著者が提案するのは、「宗教について他の人に語る」ことと宗教者として「神を語る」彼の姿とを峻別するということなのである。むしろ沈黙を以って語るウィトゲンシュタインの姿を見定め、生涯を貫く一人の宗教者として生きる彼の姿を、草稿と遺稿の詳細な読解を通じて明らかにしてくれるのである。

 本書の再刊を以て、やっと一人の否定神学者としての彼の姿に注目し、宗教的言説の次元を見定めることのできる読解の手がかりが、日本語でようやく与えられたように思う。ウィトゲンシュタインを巡る宗教認識論の研究、ないし神学における思想家ウィトゲンシュタインの評価はこれからである。本書の刊行はウィトゲンシュタイン研究に大きな光をもたらすものとなるであろう。


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