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料理下手なママは「母の味」のハードルを爆上げしがちです


料理下手の7割がレシピ通りに作らないことが理由らしい。


これを聞いた時には、確かに!!と声が漏れ出てしまいました。笑


私には、「日々料理を作るお母さんというのは、いちいちレシピを見たり、大さじだ小さじだやらなくても、適当にばーっと一回りみたいな目分量でやるものだ」という謎の思い込みがありました。


なので、レシピを見たとしても、調味料を確認しただけで大さじを出さなかったり、そもそも調味料が揃っていなかったこともあったり。


お世辞にも料理が得意とも上手とも言えない自分の腕前に「なんかごめん」と思いつつ家族に食事を出していましたが、ある時からクックパッドの言うとおりに作ってみました。


その時の家族の反応がハンパなかった!!
「美味しーい!!」と言われたら嬉しいし、万々歳だと思っていたのですが、私は心のどこかで「でもこれ、自分の力じゃないけどね」と思ってました。


だって、自分の勘に頼って作っていた時は、箸が進むぜ止まらないよ!みたいにならなくてごめん、な味だったわけですから。



所詮、言われたとおりに作っただけだから母の味じゃなくて、クックパッドの味だし。みたいなひねくれた気持ちが根強くありました。


え?おかしくない?って今なら思うのです。


例えば、スマホで撮った写真を加工するやり方を誰かに教えてもらって、いい感じの写真をSNSに載せてみた時に「この写真がいくら映えようが、私が開発したテクノロジーでもテクニックでもないし」とは思わないですよね?


この写真を撮ったのは自分。
加工したのも自分。


なんだか知らんけど、ここをこうするとあら不思議!って加工後の結果だけを注目するし、映えた写真にはにんまりしてるわけです。


それ以上でもそれ以下でもない。


テクノロジーを開発してくれてありがとう!テクニックを教えてくれてありがとう!で着地してます。


それがなぜか「母の味」というバイアスが掛かると、いやいや、クックパッド先生の言うとおりやっただけで、自分は料理下手ですから…みたいな気持ちにならないといけないんだって話です。


まぁ自分で勝手にそう思っていたのですが、そう思わされる理由が私の中にあったはずなのです。



お母さんになると、味付けは適当にやってもいい感じに仕上がる。みたいなね。「レシピなんかないない!目分量よ、目分量!」って言う昭和のお母さんは非常に多かった気がします。


それが最初の私の思い込み「日々料理を作るお母さんというのは、いちいちレシピを見たり、大さじだ小さじだやらなくても、適当にばーっと一回りみたいな目分量でやるものだ」に繋がっていました。


そうか、目分量でちょいちょいとやって美味しく仕上がるのが母の味か。と潜在意識で思っていたから、料理が得意という自己認識はなくても、適当にやって美味しくできないと母の味に私自身が認定できませんでした。


でも、子ども達にしたら、お母さんが作れば母の味ですよね。母が作った味で問題ない。むしろ、誰のレシピだろうがお母さんのご飯が美味しい方が喜ばれるわけです。


それからしばらくすると、レシピサイトの先生が増えて、美味しそうな料理を比較的に簡単ステップで作れるようになりました。


言われたとおりに調味料を準備して、
手順を踏むだけです。


そして、たまにコメント欄にお砂糖の量を半分にして作りました。みたいなアレンジ先生がいることに気づいて、甘くないバージョンも教わりました。


身体が覚えるまでは、美味しいレシピの先生が言うとおりに作ればいいのです。久しぶりに作ろうとして忘れていたら、また先生に会いに行けばいい。笑


娘に母の味のレシピを聞かれたら、サイトを転送してあげればいいんです。


そこに引け目なんて一切ゼロで、このレシピいいよって言える自分でいることが、娘がいつか母になったとしても、美味しいレシピを検索して作ることに抵抗を感じなくさせるから。


勝手に作り上げていた「母の味コンプレックス」だったのですが、私が自分で克服して、子どもに継承させなかったことを誇りたいです。笑


世の中に溢れている母親とは、妻とは、女性とは、大人とは、そこにまつわる年代別の「こういうもの」の概念は、非常に強力なプレッシャーを与える傾向が日本にはあります。


「40代が着たらNGコーデ」なんて記事に踊らされてしまうのも、その記事を書いた人や発信サイトの1つの価値観でしかないのに、さも世の中の声代表として堂々と私たちの脳内に刻みます。


世界に出ると、そんなNGの枠に収まらない人で溢れかえっているのに。


自分の思い込みは、自分で作り上げていることよりも、誰かや何かによって作り上げられていることばかりだなと気づくと、肩の力どころか全身の力が抜けて、一瞬立っていられない程の開放感を感じられました。


アメリカに移住したタイミングで脳科学を学んだので、私にはそれが顕著だったのですが、知って行動することができれば、どこにいるかは問題じゃなくなります。


実際に留学しようが、海外移住しようが、日本にいたのと変わらない思考で行動をしていれば、人は変わらないでいられますからね。


「母の味」から飛躍してしまいましたが、コンプレックスがあるなら、1度疑ってみるといいですよ。


なぜ私はそう思うのか?
それは、私が思っていることなのか?
そう思わされていたのではないか?


今まで疑いもせずにいた思考を、疑問に思うことで変化します。腰を抜かすほどの開放感は病みつきになりますよ。笑








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yasugo 超熱血ママ、辞めました!
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