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カサンドラが自らの力で幸せをつかむまで〜ASD夫との10950日 #28

「2011年3月11日」

かの震災が起こった時、私たちは福島にいた。
震災の悲惨さについては私より心に届くように語り継ぐ人々がいて、肉親を失くさなかった私が語ることはできない気するので、ここでは割愛する。

失われたたくさんの命と、生きていく命に祈りを捧げたい。

震災の日。
家族に何かある時に、彼はほぼ不在にしている。
こんな日までそうなのかと思ったが、驚かない。
彼は、東京にいた。

幸運なことに、家族も家もほぼ無傷であった。
停電や断水が続く中、近所の人々と励まし合いながら家族3人買い出しや水汲みに追われながら、3日が経った。

夫は、帰ってこない。

停電で、携帯の充電も切れた。
唯一聞けたのが車のラジオで、そこから流れる情報は、本当かどうかもわからない幻のようなことばかりであった。

実家からは、家電に連絡があった。
家電だけは、生きていたのである。
近所のご主人が不在だった家は、どんどん帰ってくる。

家電がなったのは、実に4日目であった。

「どこにいるの?」
「東京にいる。東北全体が被災地なんだ。動けるわけがない。」
「周りの東京にいた人は帰ってきてる。道は通じてるわ。」
「地震の研究者を連れて帰りたいと思ってる。今連絡待ちなんだ。」
「‥え?」

この未曾有の混乱の中、誰かを連れて帰ってきてどうするのだろう?
私はそれが、彼の嘘だということをすぐに見抜いた。
彼は自分が何かをしたくない時、いわゆる「権威あるもの」や「一般論」を持ち出してきて絶対に動かない。

こうなると何を言っても無駄である。
私は電話を切った。

1週間ほどして電気が復旧した頃、夫はレンタカーでやっと帰ってきた。
「どこいにいたの?」
「道を探して、車中泊してた。」
「車中泊?」
帰ってきたんだから文句を言うなという態度が、ありありである。

なりふり構わず帰ってきて欲しかったのに‥。
「どうしてこんなに時間がかかったの、周りは‥」
涙が溢れてきた。
いつもの、彼の自己防衛モードにスイッチが入った。
「俺1人帰ってきても、日本は変わらないだろう!?」

「留守の間、子どもたちを守ってくれてありがとう。」も。
「不安だっただろう。」も
「遅くなってすまなかった」も、一言もない。

私は流れる涙も拭かずに、彼を見つめた。
矛先が逸れたので、彼はいつものように逃げた。
「カエッテコナクテヨカッタ‥」
私はその場で泣き崩れた。

学校も再開していないので、子どもたちが家にいる。
涙を見せてはいけない。
そして、食べ物の調達に行かなくては。
子どもたちが飢えてしまう。

そして、今日から彼の食べ物まで調達しなくてはいけない。

この場に及んでも、彼はただの大きい荷物だった。
私たちが汲んできた水をたくさん使ってトイレを使い、職場にも行かずゴロゴロしている。
風呂にはもともと入らないので、そのことは気にならないのだろう。

「食べ物こんなにあるんだったら、買い出し今日はいいんじゃないか?」
と私たち3人が集めたものを消費し続けている。

ある時、「お母さん。」と、上の子が声をかけてきた。
「どうしたの?」

「お父さんさ‥。タバコ買いだめしてるね。車に隠してある。」
「え?」
「ほら、見て。」

後部座席には、ボール箱に入れたタバコが箱いっぱいに入っていた。
なかなか帰ってこなかった彼は、福島に戻らずタバコを買い漁っていたのである。

私の中でまた、何かが切れた。

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