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バリ島、とある風景| 待つ夫人
即席で設えられた舞台に向けて椅子が並べられていた。椅子は横に七脚、縦に十列の整然とした配置で、舞台前から中央にかけておよそ三割ほどが埋まっている。
二人は五列目の中央の席に腰を下ろした。左側の女性は、一目で高級とわかる赤色の新品のバッグの取っ手を肩から外して足元に置き、姿勢を正した。身体を正面に向けた状態で黒目を左淵ぎりぎりに寄せ、右側の男性の腕に自分の両腕を絡ませて上腕に右側頭部を預けた。夫人の黒目は左隣の座席を抜け、更に遠くへと向けられた。
座席を覆う白いテントの外では、真上から降り注ぐ陽光が揺らめき、駆け回る子供達の足元から舞い上がった砂埃が、光の中を縫うように漂っていた。少し黄みがかったかげろえる空間に混ざり合うことなく、夫人の黒目は真っ直ぐに、しかし一点に定まらずに遠くへと伸びていた。
テントの後方から少女が二人歩いて来た。二人の背格好はよく似ていて、手入れの行き届いた長い黒髪をストンと落としていた。小声で楽しげに話しながら通り過ぎ、舞台左奥にある東屋へ向かって行ったかと思うと、その縁に並んで腰掛けた。
焦点の定まらなかった夫人の黒目が二人に定まった。
二人とも下ろしただけの髪型のように見えたが、よく見ると、向かって左側の少女は両脇の束を綺麗に編み込んでいた。右側の少女が、編み込んだ髪に顔を近づけて何かを言うと、それを聞いた少女はその言葉に悪戯っぽい笑みを浮かべ、視線を遠くに移してからそれから右側の少女を見た。視線の先には実をつけていないマンゴーの木があった。枝には少年が一人座り、枝の下には少年を囲むように四人の男児が少年を見上げている。
少女たちの座る場所は普段は保護者で賑わっている場所だ。下校時刻が近くなると、迎えに来た親が横一列に、一部の人はその列に向かい合うように立ちながら話をする。
あの夫人も、あの日、東屋の縁に座っていた。あの赤いバッグとは違う、だけれどやはり高級なバッグを太腿の上に乗せて、背筋を伸ばして座っていた。「早いですね。」と声を掛けて隣に座ると「まだ一時間あるわ。」と答えた。東屋の縁には、夫人と私だけが座っていた。
「流暢な英語ですね。」と言うと、夫人は笑顔で「ありがとう、結婚前は英語の教師をしていたのよ。」とさらに背筋を伸ばして答えた。
「本当は今も仕事を続けたいけど、ムリね。村の決まりだから。」
と、太腿の上のバッグの紐を指で捻りながら言った。
「女性は結婚したら仕事を持ってはいけないの。それだけじゃないわ。村から外に出てはいけないのよ、本当は。私は子供たちをこの学校に通わせたいから特別に通学の時だけ村の外に出ることを許可してもらったけれど、それ以外では村の外に出られない。」
夫人は、さっきまで合わせていた視線を外してぼんやりと空中を見つめ、「毎日、子供たちの送り迎えだけが、村の外で過ごせる時間なの。」と言った。
「お出かけはしないの?」と訊くと、「この学校より南に行ったことは無いわ。と答えた。
「主人は仕事で外国に行っていて、ほとんど村にいないの。年に一度の帰国を待ちながら暮らしているわ。」
そして、続けて「女は悲しいわ。女に産まれたら、人生は悲しいわ。」と言いながら頭を前に垂れ、丁寧に漉かれた黒髪がサラリと耳を掠めて揺れた。
その髪は絡めた腕の形に沿って静かに流れた。夫人の脇を通りゆく女性が一瞬立ち止まり、赤いバッグを一瞥した。夫人は黒目を二人の少女から離してその女性の方へ向けると、絡ませた腕を更に強く引き寄せた。