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バリ島、とある風景| ブンクス

その猫と目が合ったのは偶然ではない。

四肢を折り曲げて背を低め、低めた背に揃えた頭をトラックの車体下部に滑り込ませる様子から見ていたし、それ以前にどこかに猫がいないかと路地裏の割れた壁の隙間や古びた廃材の山の中を、灰色かもしれない猫の毛色とコンクリートや、茶毛と枯れ草を見間違えないように目を凝らしていたのだから。

背の高さが車体下部に触れるか触れないかという高さに上手に調整している様子から、猫はこのトラックを良く見知っていた。そして、狭い路地から突き当たった、車が2台すれ違える程度の車道にカキリマ(手押し車の屋台)があることも知っていた。

ガラスケースから見える、醤油と唐辛子で煮付けた四角いぶつ切りの魚。タクシーの運転手が「バリ猫はみんなこれを食うんだぜ、辛いから食べられるわけないって?いや、バリの生き物は辛いものを食べるんだ。」と言っていた。へえ、そうなのか。ならば、と、たまにきては軒下の木下の椅子に座る、あの白い骨張った骨格の猫に与えるために、タクシーを降りた足で戻り、魚を買った。

猫はいつもの木の椅子に寝そべっていたので、目の前に魚を置いた。猫は身体を起こし、椅子から小さく飛び降りると魚に鼻先を近づけ、少し嫌そうにこちらを見てからから一口食べ、そして去っていった。やっぱり食べないじゃないか。僅かに砂埃が被った魚を拾い、元あったバナナの葉の上に乗せてから部屋に引き返そうとした時、ちょうど同じペルマハン(バリの住宅区画)に住むクトゥが通りかかった。

クトゥは私の手にあるバナナの包みを見ると、「何を食べるんだい?」と声をかけてきたので、私は一部始終を話した。「それは、お腹が空いていなかったんだよ。バリ島ではみんな辛いものを食べるんだ。」と、タクシーの運転手が言ったのとまるで同じように言った。

お腹を空かせた猫か。ならばあの白い猫ではいけない。もっと鋭い目をした猫を待つことにしよう。

待つ。待つ。待つ。

そして、最高のタイミングでその時は訪れたのだ、ちょうどブンクスを売るカキリマの前に。

ガラスケースの中は、四角いぶつ切りの魚の煮付けの他に、目と口の開いた素焼きの魚が3匹並んでいた。
その張り付いた視線から抗えずにいると、「これが欲しいのか?」と店主は胴体部分を挟んで持ち上げてバナナの葉に乗せ、その隣に白米を乗せてバナナ皮を覆うと端を木の枝のようなものを刺して手渡した。

手のひらの上に載せられたブンクスはずっしりと重く、後ろに振り向くのを躊躇わせた。いっそこのまま引き返そうか。中身は唐辛子で煮た魚ではないのだから。しかし、引き返すには遅すぎた。

出会ってしまったのだから。

私は靴底を引き摺りながらトラックへと歩み寄った。左後部車輪の辺りで身を屈め、ブンクスを地面に置き、バナナの葉を縫った枝を抜いて開いた。炊かれた白米の湯気を浴びた魚は少し息を吹き返した。鮮やかな色が戻り、鱗は輝きを取り戻していた。魚と白米を混ぜ合わせようと魚を持ち上げようとした時だった。いつの間にか背後に忍び寄っていた猫は掴んでいる私の手から魚を奪い取り、走った。

走って行って、3メートルほど離れた場所で振り向いた。

猫は私をしばらく見つめたあと、進行方向に身体を戻して静かに歩き、割れた壁の隙間へゆっくりと飛び乗った。

地面には、白米を乗せたバナナの葉だけが残された。


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