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奇書・実験小説・ポストモダン文学などの「変な本」の個人的見解(奇書編)
一つ前の自己紹介に変な小説を紹介したいと書いた。
その前に変な小説とは「何ぞや?」という人がいると思うので、書いておく。
言い訳というか分かってほしいのだが、私は文学おっさんでもないし評論家でも小説家でもない。そのため、かなり私の見解はガバガバなので、大目に見てくれることを念頭に置いて欲しい。つまり、かなり本に詳しい人はこのnoteを見る価値が無い。
はい。
というわけで、サクッと変な本紹介はっじまるよー。
奇書について
まず、読書家が変な本について頭に思い浮かぶのがこれだろう。日本三大奇書がすぐに思いつくのではないだろうか。日本三大奇書は、有名な「ドグラ・マグラ」のみ紹介させてほしい。
「ドグラ・マグラ」
「チャカポコチャカポコ」の部分が有名だろうか。この作品は自分が記憶を失った主人公が何者か知っていくミステリーに近いのだが、メタ要素・亡くなったはずの人物が出てくる・ミステリー部分が曖昧・etc…などのミステリーとしてあっては無いことからして、読んでいると意味が分からない作品。だから、アンチミステリーとして有名なのだろうか。
次も、頭のおかしい作品なのか?と言われると「そうです」と言いようがない作品。
「大相撲殺人事件」
ひょんなことから相撲部屋に入門したアメリカの青年マークは、将来有望な力士としてデビュー。しかし、彼を待っていたのは角界に吹き荒れる殺戮の嵐だった! 立ち合いの瞬間、爆死する力士、頭のない前頭、密室状態の土俵で殺された行司…本格ミステリと相撲、その伝統と格式が奇跡的に融合した伝説の奇書。
文春文庫版の裏表紙より引用ーーー
別ベクトルで頭がおかしい。ドグラ・マグラが怪奇ならば、こちらは(頭が悪い)狂気だろうか。このあらすじだけを見てもらうだけで、どんな内容か分かるので、次の作品を紹介する。
東京忍者 総集編
これもふざけた上にふざけまくった作品。
これ一本なのに前回のあらすじから始まる。ラストのエンディングの締めに困るから、他の本から文章を引用する。作者の晩御飯を書く(特にストーリーに影響しない)。
これらは作品の一部であり、それ以上にふざけた内容が本には収録されている。というか、内容は無いに等しい。おっさんのふざけたブログ記事の内容が書かれていると言っていいだろう。
ちなみにこの本を書いた理由は麻雀に負けたかららしい(ふざけてんのか)。
気になった点
勿論、他にも奇書と言われれているものは存在するが、上げるときりが無いのでここらで止めておく。
奇書という枠組みで読んでいて気付いたのだが、奇書と呼ばれている本にはある二つの点の奇書と呼ばれるのではあるのではないか?
①純粋に内容が狂気染みている本
一つ目は「純粋に内容が狂気染みている本」。これはドグラ・マグラなどの日本三大奇書を見て気づいたことだ。ドグラ・マグラの夢野久作は、(ドグラ・マグラと比べて)少女地獄など普通の作品を書ける。しかし、なぜドグラ・マグラが奇書と呼ばれているのか。それは、単純に意味が不明だからである。
「純粋に内容が狂気染みている本」の狂気とは、意味が解らない・気持ち悪い点から出来ている。狙って書かれた文書ではない。本当に意味が解らないのだ。少女地獄は普通に読めば、理解できる。だが、ドグラ・マグラはどうだ?「精神に異常を来たす」、「最低二度以上の再読を余儀なくされる」等の評価を得ている。
ジャック・ケッチャムによるホラー小説の「隣の家の少女」は胸糞悪い・グロテスクで気持ち悪いと言われているが、内容は理解できる。だが、この小説は意味が解らなさともやもやからくる気持ち悪さ、両方がある。ドグラ・マグラの日本三大奇書の有名としての突出さは、意味不明と気持ち悪さ、二つの素材がミキサーに混ざって最高の突飛な出来になっているからではないだろうか。
「純粋に内容が狂気染みている本」は、別に、意味が解らない・気持ち悪い点の両方が無ければ奇書に当てはまるという訳ではない。紹介していないが「青い脂」や「黒死館殺人事件」は意味の分からなさから、奇書として包括されている。
現代のネット上で怪文書として言われているものの違いと、奇書の違いはやはり文章の長さ・ストーリー・本にしてお金を取る勇気であると言える。
②ふざけている方向に舵を取り過ぎている
まあ、これは言うまでもないと思う。
大相撲殺人事件と東京忍者の似ている点は「ギャグ」だ。ボボボーボ・ボーボボも意味の分からなさから、ネットを中心に色んな意味と純粋な意味での人気を得ている。ギャグマンガ日和もギャグだが、ボーボボみたいに変な信仰を得ているわけではない(面白いけれど)。
大相撲殺人事件と東京忍者は「ふざけている方向に舵を取り過ぎている」点があるからこそ、奇書と呼ばれている。
(奇書の)結論
なんか途中で息切れが起こって、本当は実験小説もポストモダン文学も紹介したかったのとなぜ日本三大奇書はあの三つが三大奇書と呼ばれているかの解説もしたかったが、書いてて辛くなった。
まあ、これを読んでいる人に分かってほしいのは、奇書には「純粋に内容が狂気染みている本」の真面目くんと「ふざけている方向に舵を取り過ぎている本」の三枚目くんがいるんだよ。という事である。
以上!次は、実験小説編!