誇りをもって生きてほしい
大好きな番組、プロフェッショナル仕事の流儀
ごみ収集のプロを特集した回
思春期から成人過ぎまで非行に走っていたプロ。その転機となったのが、周囲の反対を押し切って自分を信じ付き合ってくれていた後の妻の存在。
初めは、ゴミを集めるだけなんだから簡単な仕事だ。自分にもできるぐらいの気持ちだった。
ゴミを集めるたびに臭いがひどくなる収集車。洗ってもなかなか取れない体や服についた臭い。楽な仕事ではなかった。
中でも一番こたえたのが、停めていたトラックに小学生が傘で叩きながら「臭えよ!」と言い放ったこと。
自分の仕事は底辺なのか。恥ずかしい仕事なのか。
そんな彼を勇気づけた二つの出来事
一つは自分の子供が産まれた時。この子が大きくなるために自分も大きくならなきゃいけないと決心した。
もう一つは、真夏の日にある収集場所に置かれていた冷たい飲み物と「いつもありがとうございます。気持ちばかりですが、お召し上がりください」という置き手紙。自分の仕事を喜んでくれる人がいる。意識が変わった。
夜中にゴミを収集し、朝起きたら街が綺麗になっていた。素晴らしいことですよね、と話していた。
それでも大学生に「臭えなぁ。こんなところ走るんじゃねえよ。」と集団で言われ、心が折れそうになることが今でもあるそう。コロナ禍で病院のゴミを収集する怖さとも立ち向かわなければならない。休むことが許されない日々。カラスに仕事を増やされる日々。
それでも立ち上がるのは、仕事を喜んでくれる誰かのため、自分が生まれ育った街のため、そして、自分の仕事に誇りをもって働いている父親の背中を見せるため。この業界のイメージを変えたい。かっこいい仕事をパパはしていると思って欲しい。
ゴミは夢だ。と語っていた
辛そうなシーンが多かったが、かっこよかった。
見ていてプロに感銘を受けたのはもちろんのこと、
自分のゴミに対する意識はどうだったろうか、と考えた。
家の中でのちょっとした分別。仕事場の床に落ちているゴミ。ゴミ袋の縛り方。収集場所に出すときのネットの掛け方。ゴミの山になっている収集場所が、仕事から帰ると綺麗に整っているのを見たときの気持ち。
ゴミを捨てるという行為が、自分の所有物だったもの、汚くなったものを誰か「人」に渡しているという意識と繋がっていただろうか。感謝していただろうか。
ゴミ収集車が大好きで、見かけると外に飛び出して行きたがる下の子。まだ意味はわからないかもしれないが、一緒に「ありがとうございます。」と言いに行く日を作ろう。字を覚え始めた上の子と一緒にお手紙と絵を書いて、収集所にはりに行こう(それはマナー的に大丈夫だろうか。自分の家の物置の壁ならありかな?)。
行動に移さなきゃと思う。誰かが自分の仕事に「誇りをもって生きてもらう」ためにも