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低空飛行note

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ひきこもり・メンタル系の当事者会〈低空飛行net〉から生まれた書きものサークルです。表現したい、発信したい、そんな何かを載せられるnote。物好きなメンバーが気の向くままに更新中。
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記事一覧

人といてやわらいだ世界

「このハイライト、あの人のブルベの肌に似合うよな。」 「これ、あの人の好きな青、だろうか。ちょっと緑っぽいかな?」 私の頭がつぶやくとき、いつの間にか他の誰かがそこ加わっていることに最近気づいた。 ひとりでいるのに、私の世界にはひっそりとした温かさが存在している。 それは変化と呼ぶには些細なことで、あまりに曖昧かもしれないが。 ずっと他人を思考回路に入れることが怖かった。 思い描く他人は、いつだって強くて、攻撃的で、異物を見るように遠くから顔をしかめている。 人との関わりの

久々にけっこう病んでた

前回のノートを描いたとき、それはそれは心が荒んでいた。 一、二週間にわたって息苦しさのようなものがあった。 最近じゃほとんどなくなった、「帰宅してから自分の今日の言動を振り返ってクソほど反省し死にたくなる消えたくなるタイム」がじわじわ復活してきたり、 いつもだったら「まあ、自分に変えられないこと手をつけたってしゃーないし」という適度な無関心、自他境界の壁が揺らいでしまったりもしていた。 先日の就寝前なんかは、家のベランダから落ちていく自分のイメージが頭から離れず、「やば

火にくべる

母はいつも疲れていた。 子ども、特に私に対して、今で言うモラハラをする傾向にあった。 うちでは、「勉強に必要なものは親が買うから言いなさい」という方針だった。 とてもいいことだ。当たり前のことかもしれない。すべての子どもが得られるわけではない「当たり前」だ。私は恵まれていたと言える。 でも、いちいち申告するのは少し息苦しくて、私はある日、お小遣いでコンビニのカッターナイフとペンを買った。 紙をスーッと切るのも、自分で選んだペンでぐりぐりと字を書くのも、ささやかながら楽しか

生存報告

わりと元気になってきた。 人間関係で色々あって、消耗していたこの所。 その件についても書いて昇華した方が……と思いつつ、書き物は義務感のようなものに押されながら生むものではないと思い直し、パソコンを閉じました。 参ってはいたものの、関西に東京に遊びに行ったり、B型事業所の見学体験を済ませて受給者証の申請までいったりと、動けてはいました。ヨシ! 今後とも、 書きたくなったら、ゆるゆると。

障害を持つ女性に求められがちな処世術

ウケを狙ってるわけでもゆるキャラみたいになりたいわけでもない。
でも気づくと職場や学校でそういうキャラ付けになっていることが多い。 自分で障害によるうっかりややらかしを誤魔化すときにそういうキャラだということにすると便利なのでそっちに持っていってるのかもしれない。
気づいたら腕時計は止まってるし、止まってる腕時計で時間確認してバス乗り遅れてるし、女のミスタービーンみたいなところが確実にあるわけで、どうしてるかと言ったら愛想良くしてる一択。
そしてそれは障害を持つ女性特有の処世

スミレのマカロンが食べたい

「スミレは香りが良く、ほんのりと口から鼻に広がっていくのがとても良く出来ていて……」 透き通るような金髪を丁寧にセットした、わたあめみたいな日本語を話す店員さんがそう紹介してくれた。 私の記憶では色とりどりの可愛らしいパレットみたいな並びの中で、スミレは少しくすんだ、薄紫色の控えめな姿だった。 なんでだろう。あの時買わなかった、ピエール・エルメのあのマカロンが今頃になって無性に食べたくなってしまった。 薄紫のマカロンを思い描いて、その色と同じような、なんだか切ない、霞がか

ゲゲゲの鬼太郎マグカップ

今日は仕事に行ったけど体調がめちゃくちゃ悪くて、頭もぼんやりふらふらしてて、
紅茶にお湯を注ぎに行った休憩室で上司に会った時に、「見てくださいこのカップ、水木しげる展で買ったんですけどねぇ、お湯を注ぐと妖怪がいっぱい出てくるんですよ〜ドゥフフドゥフフ…」
というかんじで自慢してしまった。
しかし普通に考えて過去にもかれこれ3回は同じマグカップで同じ自慢をしている。しかも他の人にも。
すいません同じ自慢を何度も繰り返して…と謎の謝罪をしてしまい、いやいや素敵なマグカップじゃん、

ガザ虐殺の抗議スタンディングを行い、抗議デモに行ってきた

さっき、ガザ攻撃の即時中止を求めるデモが名古屋であったので参加してきた。
 虐殺やめろ、とかパレスチナを解放しろというコールに混じって、子供を殺すな、というコールがあった。
 私は子供を殺すなとか子供を守れとかいう子供をダシにした政治的なアピールがきらいだ。
子供殺すなコールの時は誰も殺すなとか人を殺すなと言い換えてたらわざわざ子供だよ、と注意してきた人がいて、胸糞悪かった。
 傷つけられて怪我をした子供の画像をプラカにしてアイキャッチに使っている人もいた。
イラストでも悪い

おすすめ¥0書籍/三森みさ 著

※著者:三森みさ様へお問い合わせの上、見出し画像への使用許可をいただいております。 前回予告した内容とは異なりますが、 「過去の傷やトラウマ持ちのみんな、これ読んでくれ〜〜!!!!」 という気持ちで宣伝させていただきます。 コミックエッセイの形をとっているので難しいこと考えず読みやすく、 しかもなんと、無料で読めます。Amazon Kindleか、そのままWEBで読めます。 Twitter(X)でも読めます!が、個人的には本にまとめられてる方が続きを探す手間が省けるし集

皿洗いが嫌すぎて風呂に入れない

すべての家事の中で皿洗いがいっちゃん嫌だ。やりたくない。 皿洗い自体が不得手なわけではない。ちゃんと洗える。 ただ、手が濡れて、食べ物の汚れに触れるという作業がどうにも苦手。 とはいえほぼ毎食自炊をして都度皿を洗っていた時期もあれば、飲食店やカラオケのバイトで洗い物をやっていた間は「何も考えずできる作業」のひとつになって、バイト先の余韻でさっさと洗うこともできた。 でもこの一年、ほんとダメだ。 家にある食器や調理器具の九割がシンクで洗われないまま九龍城になっている。総菜の

双極症の人は無理しがち

食後に処方されている精神薬詰め合わせと頓服の精神安定剤を飲んだあと、ヒマなのに書きたいことや読みたいものがなにもないことに虚しい気持ちになった。 でもなぜか虚しい…何も書けん…私は空洞です…みたいなことを言いながらブログを書くと捗る自分内法則がある。ハードルが下がるんだと思う。 昔は絵や漫画を描いていたけど今はもうそんな集中力のいるアウトプットは完全に無理で、Twitterやブログで限界。 漫画や軽めの文庫を読む程度のインプットも全然できなくて焦る。 そろそろ自分の力でどうに

浅い日記

カウンセリングに行った。 日記は本当にメンタルヘルスを改善することに役立つのか、あるいは余計なことを思い起こさせて逆効果なのかと訊いた。 自分のことを把握することに役立ちはするけど、サラッとした事実の記述に留めるべきで、あまり心に深く分け入っていくような内容については触れずにカウンセリングで話せばいいのではないかと言われた。 書いたものをSNSやweb上に載せない方がいいと言われたが、私は他人に見せる前提で文章を書かないと何も書けないので困った。 誰も読まない手元に置いておく

「俺、猫飼ったんすよ」

結局救ってくれるのも人なんだな、とバカみたいに簡単に和らいだ胸の内を他人ごとみたいに感じながら、そう思った。 人と関わりたくない、会いたくない、触れたくない、とひきこもって安全に私を守る城壁を強くしようとしていた。壁の一部を取り除いてそーっと他人を入れてみると、内側も外側も陽のあたる湖面みたいに穏やかだった。 嬉しくて気が抜けてしまった。 先日、体調を崩して長く休んでいた事業所に戻った。 行く、話す、と決めたのに、直前まで本当にこれがやりたいことなのかと悩み、胃が波打つよう

誰かを「嫌い」になるということ

先日のnoteから若干つながった記事になる。 突然だが、私は高校生くらいまで「人を嫌いになっちゃいけない」と思っていた。 思い込んでいた。 人を嫌いになるのは悪いことだ。誰だって理解する努力をしなければ。そんなふうに考えていた。 平和主義(この言葉も適切ではないかも)というよりは、「私だって十分罪深くゴミみたいな存在なのだから、人を嫌いになるなんて『贅沢』をする資格はない」とでもいうような心理だったように思う。 以前に別のnoteで書いたが、自己認識がヒト以下の泥人形だ