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好きな人が日常にいるという事

いつも2つの気持ちを行ったり来たりしている。

W不倫をしていた10年関係のあった年下の彼は、私の日常の中にいた。

こちらから連絡をしなくてもほぼ毎日連絡がきて月に何度もデートをして、家が近所だったせいもあり彼の早朝のジョギングのコースは我が家のベランダが見える場所をわざわざ選んでいた。

久々に連絡がきた人妻の友人は独身の彼が日常になり過ぎてしまいこれ以上依存するのが怖いけど、1人になるのも怖いと言った。


特定の人がいると不思議なもので人の心は安定する。

夫婦、恋人、既婚だけど彼氏彼女、定期のセフレなど関係性に名前を付けると安心する。

好きになり過ぎて悩んだり、

名前をつけた関係性にいつ終わりがくるのか

心のどこかで怯えていたとしても。


好きな人が日常の中にいると言うことは

そういう事だ。


だからそんな日常を長く続けた日々を経て私は、一緒にいない時に恋焦がれるように誰かを想い煩い好きになる事をやめた。

特定の人を作らない、その時目の前にいる人を好きになるという形をえらんでいる。

今日、その友人に

〝特定の人を作らないって寂しくない?“

と聞かれた。

、、うん、さみしいよ。

そんなの本当は寂しいに決まってる。

君には私だけ、

私にも君だけ。

そういうのはやっぱり良いなって思うもの。

だけどきっとこんな風に思うのも季節が移り変わって行くせいなんだろう。

本能的に、誰か1人だけを好きになるなんてムリがあると気付いていながら、そこに憧れている私がいるだけ。

こんな調子で少し弱っている私の心に間男りょうくんが先日会ってからなぜか毎日送ってくれるLINEが染みて、意味もなく涙が溢れてしまう。

りょうくんは初めて会った日から4ヶ月程毎日LINEをしてくれて、都会のど真ん中に住むおぼっちゃまだというのに毎回遠くまでわざわざ会いに来てくれていた。

それもあって私は彼になんとなく甘くなってしまう。

これは多分恋ではないんだけれど、

彼に少し頼りたくなるような、

若い男の子っていうのは何にも考えなくて、

無責任に甘くて温かい。

眠れない夜にベッドに潜り込んでくる猫みたいな温もり。

会っている男の子と私の関係に名前はないし、

いついなくなるのかもわからない。


でもその感じが私はとても好きで、

時々心を救ってもらっている。





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