ナルコレプシー当事者が「希望と分断のお薬 | 一番身近な物体 | あさひてらす」を読んで思ったこと

 当事者としてこの記事が世に出たことを嬉しく思う。「オレキシンがないからスイッチがゆるゆるしてる」という駒沢さんの言葉は、当事者が持つリアルな経験の手触りであるゆえに、私も深く共感した。

 上間陽子・信田さよ子(敬称略)『言葉を失ったあとで』という本で、「言葉を禁じると何が残りますか」「それはね、うーん、比喩ですね。そう比喩の豊かさです」というやりとりがあったことを思い出す。スイッチによる比喩はまさにそういった類のものだと思う。

 こうした当事者による率直でリアルに基づいた語りが出てくるのは、同じ病気を持つ人はもちろんのこと、彼らを知りたいというそのほかにとっても大きな意義があると感じる。

 私は中学生のときに過眠症状が出て、睡眠ポリグラフ検査を受け正常ではないと診断された。大人になってからADHDと診断され、さらにADHDとナルコレプシーには深い関係があるという研究も知った。

 この記事で書かれている駒沢さんの経験は、私が辿ってきたものと重なるものだった。学校が課す規律から意図せず逸脱してしまう孤独を思い出す。居眠りを繰り返すゆえに、通信簿の「意欲・関心・態度」はどれだけ頑張ってもAを取れなかった。病気が発覚してからも、職員室で「そんな病気ないよ!」と学年主任に笑われた。
(ただ、私が病気であることにいちはやく気づいて病院に行くよう促してくれたのは当時の国語の先生だった。それまでは居眠りの多い「のび太」的な扱いしかされていなかったが、その先生だけは真剣に受診を勧めてくれた。彼女がいなければ、もう少し病気の発覚が遅れていたかもしれない。人生に大きな影響を与えてくれた人だ。)

 居眠りが社会的に悪であることは子供のうちから十分わかっていた。だから眠気に抗おうとあらゆる手段を講じたが、結局そんなもので治るわけがないから病気なのである、ということを自覚するだけだった。

 大学に入ってからは正直楽になった。居眠りをしていても目立たない大教室、出席と勉強で単位が取れるシステムがありがたかった。居眠りを咎める人がいない、というだけで私の心はずいぶん楽になった。

 この頃、ADHDの診断を受け、コンサータという薬を飲むことになった。これはナルコレプシーの治療薬と同成分の薬で、幸運にも効果があった。もちろんうまく効かずに眠ってしまう日も少なくなかったが、症状がだいぶマシになったことでかなり楽になった。
 大学卒業後、どういうわけか学生時代と比べて居眠りの頻度はぐっと下がって、思春期の頃よりは安定している。

 しかし、私の心に根付いた「私は普通の人が当たり前にできることができない」「常に誰かに迷惑をかけている気がする」「眠らないように常に緊張感を保たねば」という意識は消えていない。
 最近カウンセリングを受け始めて臨床心理士に指摘されたのが、「あなたは常に自分が失敗しているという認知を持っている」という問題だった。これには打ちのめされた。それが普通のことになりすぎていて、自分がそうした負の呪縛に囚われているなんて思ってもみなかったからだ。

 私は社会人になってから、不安障害、適応障害と立て続けにメンタルを崩してしまい、休職を3回したのち退職して現在フリーターである。ナルコレプシーの症状がマシになっても、ナルコレプシーの経験が築き上げた「常に失敗している自分」というイメージが足を引っ張っていた。自分の仕事にまるで自信が持てず、いつも不安だった。当時の会社の人は病気に対する理解を十分に持っていて、眠気や不安を抱いたときに部屋を使わせてくれたこともあった。そうした周囲の理解があってもなお、私は癒されることがなく(ごめんなさい)、ついには耐えきれず会社を飛び出してしまった。
(ちなみに、ほんとうに当時の会社の方々は優しくて、こんな自分にも送別会を開いてくれました)

 このような経験から、ナルコレプシーは単なる眠気の問題だけでなく、自分の体が社会のデザインと合わないことにより生まれる苦労や、精神的な疲弊をともなうと確信した。

 フリーターである現在、バイトがないオフの日はコンサータを飲まず存分に寝ている。正直、幸せだ。自分の眠気に対して罪悪感を抱くことなく、自分の体にとって自然なリズムに任せて生活できることで、心の平穏を感じている。

 私は想像する。居眠りしても叱られたり評価が下がったりしない社会があったらどんなふうに私は育ったのだろう、と。いつ来るかわからない眠気に怯える必要なく、自分のペースで生きられる学校だったら、どんな青春を過ごせただろう。
 無駄な妄想とわかっていても考えてしまう。

 そしてあえて強く言えば、そういう社会に変わっていくべきだと思う。

 ADHDの話にも重なるが、社会があまりにも「ふつうの人」向けにデザインされているがゆえに、なんらかの困難を抱える人は必要以上に窮屈な思いをしなくてはならない。

 この記事でも書かれているが、「普通の人にならなければならない」というプレッシャーがあると精神がとてつもなく磨耗する。裏返せば、「自分は普通の人ではない」という自己否定を抱え続けることになる。

薬を飲んで、一般の人にどれだけ近づけるかということを、ずっと考えていて、必死に合わせようとしていたんですよね。そのことに疲れてきていたんだと思います。やっぱり限界ってあるんだなと思うし、上の世代の方々が「薬さえ飲めば変わらない」と言っていたけれど、今までわたしの中でもそういう考えがあったんだなと思います。でもそこまでやる必要な(原文ママ)ないんだ、って感じるようになって、むしろ、なぜ一般の人に合わせなければいけないのかなと思うようになりました。

「希望と分断のお薬 | 一番身近な物体 | あさひてらす」https://webzine.asahipress.com/posts/8167

 今の社会は「健常者」の条件があまりにキツすぎる、と思う。仕事に穴を開けない健康体で、問題なく社交の場に出られて、いわゆる「めんどくさい」ものを持っていない人。こうした人物像であることが最低ラインに感じてしまうときがある。

 かくいう私も、そうした「健常者中心主義」を内面化してきた。できないことは投薬などのあらゆる手段で潰していかねば、とか、居眠りをしてしまうならせめてどこかで役に立つ人間になろう、とか、今でも思うことがある。でも無理は続かなかった。
 
 この世の中は、「自分が存在することで発生するメリット」をプレゼンし続けないと居場所がなくなってしまうような苦しさがある。こと、なにか困難を抱えて、ハードルの高い「健常者の条件」を満たせない人にとっては。

こうした教育の効果に加え、近年では、情報テクノロジーの登場が、私たちの時間感覚に大きな影響を与えています。睡眠が、文字通り「金にならならいもの」とみなされるようになっているのです。人々の関心や注意それ自体が経済的価値を持つというアテンション・エコノミーの考え方にとって、睡眠は、昼の眠りであれ夜の眠りであれ、経済的価値を持ちません。「ユーザーの注意を少しでも長くデバイスやサイトに引き付けておくことが儲けにつながる」という発想からすれば、人々を眠らなくすることが利益の最大化につながる、ということになってしまいます。

同上

しかしだからこそ、睡眠は、そのような過剰なアテンション・エコノミーに対する強力な「アンチ」になる、ともクレーリーは指摘します。食欲や性的欲望、あるいは友情といった人間の生にとって欠かすことのできない必需品がすべて商品化され、作り直されてしまった時代において、睡眠だけが、「植民化できないもの」として残り続けているからです。このように、睡眠は、その時代の社会の価値観やテクノロジー、経済システムによって、さまざまに意味づけを変えられているものです。

同上

 すこし話がずれるが、睡眠が植民地化できないものならば、徹底してそれを守りたいと思う。社会が要請するものに縛られない時間があったほうがいい。適応障害の療養でもっとも難しかったのが「穏やかな休養」であった。とにかく寝ることを医者や周囲の仲間に勧められたが、なにかせねばという焦燥感と、なにもしていないという罪悪感ではじめはつらかった。過眠症の眠気にびくびくしていたこともあって、どうしても眠いのに眠ることが極端に怖くなってしまい、もともと浅かった睡眠がより浅く、質の悪いものになった。
 のびのびと眠ることすらうしろめたくなる環境はとても生きづらい。そうした社会構造が、困難をもつ人の平穏を脅かしているとすら思う。

 私のひとつの抵抗は、睡眠なのかもしれないと思うようになった。健常者中心の考え方で「睡眠障害」と言われるならば、私はこれに抗い、堂々と寝られるようになりたい。それはとてもとても難しい。なにかを訴えるのには、エネルギーとある種のマッチョさが必要だとも感じる。まだ私にはそうしたタフさがないし、それを将来必ず獲得できるという自信もない。それでも、私はどうしても眠ってしまう身体で生きるのだから、せめてそれをうしろめたく思わないようにしたいと思う。

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