展覧会レビュー:誕生50周年記念 ベルサイユのばら展 ベルばらは永遠に
──酎 愛零が展覧会「誕生50周年記念 ベルサイユのばら展 ベルばらは永遠に」を鑑賞してレビューする話──
ごきげんいかがでしょうか、引き続きお嬢様月間の私です。
台風のあいまをぬって、どうしても行きたかった展覧会に行ってまいりました。今回は、東京都港区、六本木森ビルの展望台「東京シティビュー」で2022年9月17日から11月20日まで開催されている「誕生50周年記念 ベルサイユのばら展 ベルばらは永遠に」です!
会場は52Fの展望台!専用エレベーターで一気に上昇しますわよ!
係の人のご案内に従って進みますと、ふわあああああああああ
寄り添う二輪のばら!オスカルとマリー・アントワネットがアイコンの、展覧会バナーですわ!この配置、このデザインには、浮世絵の大首絵の手法と似通ったものを感じますわー!
ガラス張りの展望デッキというロケーションを活かし、開放感と天空の別世界感を演出したのはお見事です。
台風が接近中ということもあって、お天気はあいにくの曇り空。けれども、それもこの高さなら、まるで雲の中、天上世界にいるような脳内補正をかけるのも容易ですの。
フォトスポットではキャメラマンの方に撮っていただけるようで、その合図も「はい、チーズ」などではなく、「un、deux、trois!」という心得たもの。いいですわよ!その理解度!
ファンなら必要ないものがあるということは、これはベルばらをミリ知らの方──例えば付き添いで来ただんなさんとか、デートで来ただけの彼氏さんとか──にも楽しんでもらえるようにという配慮ですね。(※ミリ知ら……「1ミリも知らない」の略)
さて、ここからは撮影不可エリア。
ベルサイユのばらメモリアルとして、漫画雑誌「マーガレット」の歴代の表紙を展示した長大な年表が圧を与えてきます。
50周年記念メッセージには作者の池田理代子先生のお言葉が。多忙を極めていたので、ご飯にすじこと茎わかめとをかけたものばかり食べていたら、腎臓をやられたとか。……どう考えても塩分過多ですわね……でもちょっと食べてみたいですわ、すじこ茎わかめ飯。
制作にあたっては取材と勉強を重ね、18世紀当時の下着の布の裁断方法まで学ばれたとか。そして、子供が読者層であるのにけっこう難しい言葉を使っているのは、「古典に触れる機会が少ないので」あえて難解な言葉を使うようにしていたとのこと。華やかで美しい絵柄も、子供たちに興味を持ってもらうという目的もあったようです。
第一章は、原作の原画エリア。
すさまじい圧力……!
たとえるなら、製本された漫画が「剣豪の演武を収録したVTR」だとするなら、原画の鑑賞は「剣豪の演武を生で拝見している」というところでしょうか。まるで、撃剣の響きや、太刀筋の流れまで感じられるような迫力がありますわ!
展示は180枚にも及びます。ダイジェストではありますけど、鑑賞は見るというよりは、読むという行為ですわね。しかし、だからといって物語のあらすじをここで語るのも野暮というもの、ここは私なりの鑑賞の仕方──創造の末席にいる者としての鑑賞の仕方をさせていただきますわ!
力を入れているシーン、そのシーンの熱量の伝え方、そのシーンを描くために必要な因果関係、その因果関係を不自然なところなく並べた起承転結、筋立てに沿って自然に、時にとっぴに動く登場人物、ぶれない登場人物の性格設定、環境設定、5W1Hの整合性、整合性を取るための伏線の張り方、史実とフィクションの混ぜ方、際立たせ方、コマ割り、ポーズと表情の印象付け方、セリフのキメ方、フキダシの中の「……」の量、キメゴマの使い方、などなど……
最初こそ圧倒されっぱなしでしたけれども、自分なりに編み出した創作術・作品分析法という名の武器をひっさげ、偉大なる先達の巻き起こす剣風に相対すると、その中には超人の技前だけではなく、意外にも詰めの甘い部分や、明らかに空振りしている部分も見えてきました。
いかに池田理代子先生といえど、連載開始当時は24歳でしたもの、最初から完璧とはいきませんでしょう!これなら29歳の私でも、ある程度は斬り結べる……!
それにしてもものすごく目力と精神力を消費しますわ!
原作エリアの第一章だけで一時間を費やしました。次は撮影可能な、宝塚ベルばらの第二章ですわ!
ざんねんながら、蒙昧にして、宝塚歌劇のベルサイユのばらは、まだ鑑賞したことがございません。しかし、伝え聞くところによると、かの宝塚歌劇団であっても、打診を受けた際は漫画を原作とした作品の上演に抵抗があったとか。それくらい、当時の漫画の地位は低かったということでしょう。(これには『王妃の浮気の話』と解釈されて、宝塚でやるにはふさわしくないと言われたことも噛んでいるようです)
また、原作ファンからも公演に否定的な声があがり、原作の8等身のオスカルを日本人が演じるのは無理がある、イメージが壊れるから上演をやめろ、という投書が相次ぎ、脚本・演出担当にカミソリの刃が送りつけられてきたことも多数あったとか。
演者は原作を化粧台に置きながら化粧をし、照明を受けて目に星を飛ばすには客席のどこを見たらいいか調べるなど、入念な準備を重ね、初公演の日。上演終了後、3階席から降ってくる大歓声に、関係者は成功を確信したそうです。
この大成功で、当時テレビに押され気味だった宝塚歌劇団の人気は再燃し、「ベルサイユのばら」は宝塚歌劇団ファン以外にもその名を知られるビッグコンテンツとなりました。まさに、今日でいう2.5次元の先駆けともなったわけです。
第三章は、再び撮影不可。アニメベルばらの世界です。
アニメは公式動画サイトで1~4話を履修済みですわ!
一言で申し上げれば、濃いです。原作に負けず劣らず……と言いますか、色と音と声と動きがついている分、原作とは別種の濃さと重さがあるんですね。これはこの作品に特有のものなのでしょうか、それともこれが昭和アニメの特色なのでしょうか。
そして、初めて知ったのですけど、アニメの監督さんはおふたり、いらしたのですね。13話までを担当された長浜忠夫さんという方はたいへんな自信家であり情熱家で、声優との演技をめぐる対立で、監督降板にまで発展してしまったそうです。絵柄も、初期よりも後期の方が面長になっているとか……そこまでまだ観ていないので、なんとも言えませんけど。
そして壁には、アニメーター向けの資料として、各キャラクターの描き方指示が実際の絵とともに展示されています。これはイラスト描きなら垂涎の的……!会社財産でしょうから撮影不可なのはわかりますが、これは撮りたかったですわ~~
そして三度撮影可能、第四章「ベルばらは永遠に」。
こちらではスピンオフ作品や、今までにベルばらがコラボしたもの、外国語版のベルばら、これからのベルばらのエリアとなっています。
ちょっと驚いたのは、阪神競馬場とコラボしていたことですね。四月に行われる「桜花賞」に、タイムスリップしてきたオスカル一行が……という内容。現在では特設サイトは見ることはできませんけど、ニュースサイトにその様子が残されていました。調べましたら、阪神競馬場って、宝塚市にあるんですね。なるほど、宝塚つながりだったんですね!
最後にはやはり、新作となる劇場版アニメのコーナー。
う~ん、設定画を見ても、やっぱりコレジャナイ感はありますわね……
やはり目力の不足でしょうか。あと線が細い?
たしかにキレイはキレイなんですけど、ベルばらに求められてる美しさって、この系統のきれいさじゃないと思いますの。テレビアニメ版の顔と並べて見れば一目瞭然だと思いますけど、これでは衛兵隊も言うことを聞かないのでは……?まだJRAのオスカルの方が強そうですわよ。
池田理代子先生はまさか50周年を祝う日が来るとは思わなかったとのこと。読みつがれるということそのものが「ベルサイユのばら」という作品がそれだけ読み手の心をつかんで離さず、影響を与え続ける作品だということの証だと思いますの。
会場には、おひとりでいらしている壮年男性の方々のお姿も見えました。男性が少女漫画を読むことに抵抗と偏見があった世代では、とお見受けします。
「歴史ものは当たらない」と言われ、女性漫画家の原稿料は問答無用で男性漫画家の半分という時代。漫画は子供の読むもの、少女漫画は女の子が読むもの、そういう定義が物言わぬ圧力として存在した時代。
その時代に、時代の空気に、敢然と立ち向かったのが「ベルサイユのばら」という作品であり、若き池田理代子先生だったのではないでしょうか。それこそがまさに「革命」だったのです。
しかしながら、今もなお不平等は世界じゅうに蔓延し、自由を奪う抑圧者は存在し、貧困は弱者の涙を搾り取っています。
では今、私のなすべきことは何か?
武器を!
私だけの武器を手にし!
心の自由と平等を押し込める監獄へ!
創作という名の尽きぬ砲火を浴びせよ!
私の名が天地に轟き、厚き暗雲から光差すまで!
良い展覧会でした!
大先輩から稽古をつけてもらって、みなぎるパワーをもらった気分です。これだから、美術展通いはやめられないのですわ!学べば学ぶほど、その人の苦悩や理想、情熱といったものを我が身のうちに取り込めるのですから。
また、10年後にお会いしたいものですわね、先生。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
それでは、ごきげんよう。