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「結婚間近にふられましたが、幸せは思いがけず突然やってくる。……いやほんと、予想以上の展開だよ!?」 第7話
(第一話はこちらです)
人目をひくイケメンなのに、笑顔が人懐っこい英国人。
彼が、さっきまで読んでいた小説を書いたなんて、彼がリチャード・ライター本人だと納得したはずなのに、不思議な感じがなくならない。
意外と言えば意外だし、それらしいと言えばそれらしくは見えるんだけど。
私は本を読むのは好きだけど、小説家本人については、さほど興味がない。
エッセイなら著者の年齢や性別、略歴は、著者の立ち位置を知るために、確認してから読む。
旅のエッセイでも、著者が20代の女性なのか、40代の男性なのかでは視点がぜんぜん違うからだ。
けれど小説を読むときは、作家の素性は気にならないので、わざわざ調べたりはしない。
だからファンとはいえ、リチャード・ライターについても、さほど多くを知っているわけではない。
英国人の男性で、有名な大学で金融工学の勉強をしたとは聞いたことがあったけれど、それだけだ。
彼のブログがあることも、さっき初めて知った。
ただなんとなく、金融や国際情勢の知識の深さから、著者は40歳以上ではないかと思っていた。
リチャード・ライターが作家として認められて、4年はたっている。
目の前の男は、せいぜい30歳くらいだろう。
だとすると、あんな知識を持って小説を書いていたのが、遅くても20代後半からか。
なんか、すごい。
感服する。
とはいえ、登場人物の掛け合いの軽妙さは、若い作家らしいといえば、若い作家らしかった。
最初に電車の行先を尋ねた時の彼の人なれした様子も、整った容姿と明るい雰囲気も、リチャード・ライターらしいと言えばそれらしい気もする。
『日本へは、観光で?』
まだ彼がリチャード・ライターのそっくりさんであることをすこし疑いながらも、私は彼と連れ立って歩くことは嫌じゃなくなっていた。
なにしろ、好きな作家に偶然出会えたのだ。
きっかけはどうあれ、むこうから話しかけてくれたのだし、目的地も同じだ。
少しおしゃべりを楽しんでも許されるだろう。
リチャード・ライターは、まだ恥ずかし気に『うん』とうなずいた。
『さっき君が読んでいた本、あれが日本では初めての出版なんだ。前から日本には来てみたいと思っていたし、ちょうどいい機会だと思って、来てみたんだよ』
『日本はどう?』
『素晴らしいね。俺は好きだな』
屈託なく笑う空色の目にひきつけられて、一瞬、胸がどくりと跳ねた。
イギリス人のくせに、そんな素直な反応をするのはやめてほしいものだ。
『まぁ、日本人に日本はどうかと聞かれたら、褒めるしかないわよね』
胸の高鳴りをごまかすように皮肉気に言えば、リチャード・ライターは目を丸くする。
そして思わずというように、くすくす笑った。
『参ったな、うちの姉とそっくりの話し方だ』
『お姉さんがいるの?』
『あぁ。頭が良くて気がキツイ、とびきり美人の姉がひとり』
『あら。似ているなんて、光栄だわ。もっとも、あなたを見ていれば、お姉様が美人なのはわかるけど』
リチャード・ライターの年齢から察すると、お姉様とは年齢も近そうだ。私にも、こんな弟がいればよかった。
そうすれば私が結婚しなくても、弟が結婚して両親に孫の顔をみせてくれただろうに。
博昭との結婚がダメになって、自分の気持ちが落ち着いても、両親と顔を合わせづらいのは、それも一因だった。
一人っ子の私が子供を産まなければ、両親は孫を得ることはできない。
年齢を考えれば、子どもがほしいなら私もそろそろ焦るべきだ。
けれど、好きでもない男と結婚するなんて考えられない。
そのくせ、そう簡単に誰かを好きになることなんてないし、その相手に好きになってもらうのも難しい。
こんなことを悩みとして挙げれば、自分をかんがみて相手を妥協しろとか、とりあえず婚活しろとか言われるんだろうな。
だけど、無理に婚活して、妥協して結婚する、なんて芸当は、私
にはできそうにない。
他人事なら、それでも結婚が決まれば「おめでとう」と思えるけど、自分がそれを成せと言われたら、全力で逃げたくなる。
人には向き不向きというものがあるのだ。
無理なものは、無理。
だから両親には申し訳ないのだけど、うるさく言われないのをいいことに、好きに生きている。
でも申し訳なく思っているから、兄弟姉妹がいればと思ってしまう。
まぁ兄弟姉妹がいても、自分と同じタイプなら、同じところで行き詰っているかもしれないけど。
溜息をつきたくなるのを我慢していると、リチャード・ライターが楽し気に言う。
『それって、俺が美形だって褒めてくれているの?』
『ただ見たままを言っただけよ』
誰が見ても、リチャード・ライターは美形だ。
好みの差はあれど、美形じゃないという人は少ないと思う。
周囲の女の子の視線からも、それは明らかだ。
だから「美形」だなんて言われ慣れているだろうに、リチャード・ライターは、なんだかすごく嬉しそうに笑う。
変わった人だ。
とはいえ、外国に観光旅行に来ている時って、なんだかやたらテンションがハイになって、なんでも嬉しくなるものかもしれない。
まぁ同行者がむっつりしているよりは楽しそうなほうが、こちらとしても嬉しいものだ。
それが好きな作家なら、なおのこと。
表参道の入口の大きな鳥居が見えたので、端によって一礼する。
リチャード・ライターは、ここでもやたら嬉しそうに、私の横で真似をして一礼する。
『すごいな。屋台がいっぱいだ』
参道の両端にぎっしりと屋台が並んでいるのを見て、リチャード・ライターが弾むような声で言う。
『気になる? 私は、お詣りをすませてからじゃないと、屋台では食べない主義なんだけど』
『そう? なら、俺もそうしよう』
早朝だから、屋台はすべてが営業しているわけじゃない。
せいぜい半分というところか。
それでもあちこちの屋台からいい匂いがかおり、威勢のいい掛け声を聞いていると、わくわくする。
お詣りの前になにか食べてもいいんだけど、のんびり屋台で食事をしている間に神社が混み合って来たら、お詣りするのも延々と並ばなくてはいけなくなる。
ここの屋台は大型のテントの中で腰をかけて食べるところも多いので、うっかりすると時間をとられてしまうのだ。
リチャード・ライターがあっさり屋台を後回しにしてくれて、助かった。
お正月だけ参道脇に設置されている大型のスクリーンに興味を示すリチャード・ライターをしり目に、次の鳥居で一礼する。
リチャード・ライターも一礼して鳥居をくぐると、「ウツクシイ」と言いながら、楼門のある階段へ向かおうとする。
『待って。先に手を清めるから』
朱色の楼門はたしかに美しく、シンボリックだ。
すぐに向かいたくなるのはわかるけれど、リチャード・ライターを引き留め、連れたって手水舎に向かった。
リチャード・ライターは日本人でもないのに、あれこれ言うのは良くないかもしれない、とふと思う。
けれどリチャード・ライターは私の懸念なんて吹き飛ばすみたいに、わくわくした目で、私を見る。
『これ、どう使うものなの?』
いそいそと柄杓を手に取って、リチャード・ライターが言う。
好奇心で目を輝かせる様はなんだかかわいらしく、相手は憧れの作家だというのにほほえましく感じてしまう。
『まず左手を洗って、柄杓を持ち替えて。次は右手を清めるの。もう一度柄杓を持ち替えて、今度は左手に少し水をためて。……そう。口をすすいで、最後に柄杓の持ち手を清めるのよ』
説明しながら実践すると、リチャード・ライターは緊張した面持ちで、私の真似をする。
だけど、最後に柄杓の柄を清めるために柄杓をたてるところで失敗した。
『うわっ』
袖口まで水で濡らしてしまったリチャードに、くすくす笑ってしまう。
ハンカチを手渡すと、苦笑いしながらリチャードが言う。
『ありがとう。……これ、難しいね』
『慣れないと、そうかもね』
『君は慣れているの? 所作も綺麗だった』
『日本人だから、それなりにね』
『他の日本人に比べても、君の所作は綺麗だと思うけど』
他の人の邪魔にならないように楼門のほうへ歩きながら、リチャードが言う。
『そうかしら。ありがとう』
あまり意識したことのない所作だけど、褒められると悪い気はしない。
ほほ笑んで返せば、リチャード・ライターが少し目を見張った。
『どうかした?』
『あ、あぁ、いや。……なんでもない』
ほんのりと頬を染めて、リチャード・ライターが目をそらす。
そしてそわそわと周囲を見渡して、立ち止った。
なんだろうと思ったけど、そういえば、楼門前には、カメラを構えた人がたくさんいる。
『写真、撮る?』
『え?いいの?』
『もちろんよ』
うなずくと、リチャードが、ぱっと笑顔を浮かべた。
しまった。
表参道の鳥居の前でも、観光客はよく写真を撮っている。
たしかあそこには、狐の像もあったはずだ。
自分にとっては、見慣れた場所だから気にも留めなかったけど、観光客ならあちこちで写真を撮りたくなるものだ。
リチャード・ライターはまごうことなき観光客だ。
それも英国からの観光旅行なんだから、もしかするとここに来るのは一生に一度のことかもしれない。
もっと気を使うべきだった。
……こういうところが、かわいくないんだろうな。
第8話に続きます。