音楽界のアベンジャーズboygeniusの始まり
2024年のグラミー賞にて最優秀ロック・パフォーマンスをはじめ3部門受賞となったboygeniusをそう称したのは、同じく同年グラミー賞で2部門受賞となったParamoreのボーカルHayley Williamsであった。
今回はboygeniusのこれまでの歩みを探る特集記事の前編。
3人の出会いと、奇跡のようなスーパーグループboygeniusの始まりについて。
3人の出会い
boygeniusはアメリカを活動拠点に活躍するPhoebe Bridgers(以下「フィービー」), Julien Baker(以下「ジュリアン」), Lucy Dacus(以下「ルーシー」)の3人から成るグループだ。
3人はソロアーティストとしてそれぞれ活動をおこなっていたわけだが、その出会いは2016年まで遡る。
当時ジュリアンがリリースした1stアルバム“Sprained Ankle”を聴き、車中でひとり涙を流すほどに感動したというフィービーはすぐさまジュリアンに連絡をとったという。(特に"Everybody Does"を聴いて感激したそう)
またジュリアンもSoundcoud上でフィービーの音楽を知り、自身のツアーに招待するなど、仲の良い友人となった2人は程なくして合同ツアーをおこなったのであった。
一方でルーシーがジュリアンを知ったきっかけはかなりドラマチック。
友人や当時の広報スタッフ、母親の友人までいろんな人が口を揃えてジュリアンをオススメされ、奇妙なこともあるものだと思いつつ聴いてみようかなと思いつつ帰宅すると、ジュリアンのマネージャーからのメールがちょうど届いていたという。それもジュリアンのDCでのライブのオープニングアクトのオファー。
何とルーシーがジュリアンの音楽を初めて耳にするのは、そのDCでのライブとなったという!
同じくジュリアンのこのライブでルーシーの演奏する"Map On A Wall"を聴いて涙し、2人は会って10分で仲良くなり、今では2人にしかわからない「秘密の握手(Secret handshake)」があるくらいだという。
その後ジュリアンから「近い将来最高のアルバムを出すんだ」といってフィービーについて話を聞いたがきっかけで、ルーシーはフィービーのことも知ることとなる。(「これはチェックしとかないとな」と思った、とインタビューにおいてルーシーは冗談交じりに語っていた。ちなみに2人が直接会うことになるのは2018年に入ってからだったそう。)
こうしてジュリアンを中心に3人は交友を深めていったのだ。
(月に何度か長文のメールでやりとりをしたりもして、お互いが世界中を回りながら自らのやるべきことをやっているのだと感じるのがとてもよかった、とはジュリアンの談。)
そうこうしている間に、フィービーとジュリアンによる2年ぶりの合同ツアーのゲストとしてルーシーが指名を受け、3人は満を持してアーティストとしての活動を共にするきっかけを得る。
本人たちすら予期せぬEPリリース、そしてグループ結成
3人は合同ツアーに際して、一緒に何かしたらどうかとの周囲の勧めから、ツアーのプロモーション用に7インチシングルを作ろうというアイディアが生まれる。当初はシングルを1曲か、Carter Familyのカバー曲をそれに加える案など出ていたよう。
早速各々が候補となる楽曲を書き上げたうえでロサンゼルスにある"Sound City Studios"でのレコーディングに臨んだそうだが、最初の段階でそれぞれ完成された楽曲1曲分+大まかなアイディア1曲分を用意していた。きっと3人でのレコーディングに向けてきっとアイディアがどんどん湧いてきたのではないか。
初めの段階からそんな状態であったレコーディングが盛り上がらないわけもなく、「あと2日あれば16曲できた」と冗談めかしてインタビューで語るくらい、わずか5日間と限られたレコーディング時間の中でどんどん楽曲が生まれていく。
例えば"Ketchum, ID,"は、フィービーがアイダホ州の風景を眺めながら抱いた感情について書いた歌詞を口ずさんだのを見たジュリアンとルーシーは飛び跳ねながら共感し、この美しい歌を必ず楽曲にしなければと言ったのだとか。そうして楽曲が書き上げられると、そこからほんの20分で収録されたという。
"Salt In The Wound"では、フィービーとルーシーはジュリアンに対しとにかく"Shred(半端ねえ)"ギター演奏をぶちかますよう伝えたという。クールな音色ではなく、ずたずたに引き裂かれたような派手な音色で演奏してみようというアイディアによって、結果的にジュリアンによる派手で力強いギターソロが印象的な楽曲となっている。
多くのインタビューで強調されていたのは、3人の間でのアイディアの扱い方。異なる意見が並び立つ、というイメージではなく、誰かが出したアイディアを前に他の二人が心躍らせどうしようかと話し合い問題を解決していく、という信頼関係の上に成り立つプロセスによって楽曲であったり3人の方針であったりが決まっていったそう。
そうして最終的には6曲分のEPが完成する。後に"Boygenius"と名付けられるEPである。
EPの完成と共に、誰から言われたわけでもなく、ただ自然な成り行きで、3人の間ではバンドを組もうという考えが芽吹いていた。
"boygenius"の結成、始まりの瞬間だった。
誰かがグループでの活動を提案したというよりはアイディアが自然に膨らんでいったようだが、無意識のきっかけかもしれないものとして、かつてジュリアンがルーシーに伝えた「自分がリードシンガーを務めないバンドが組みたい」という言葉があったとインタビューで触れられていた。
いつしか単発のコラボシングルのはずが6曲入りのEPリリースに繋がり、気づけばboygeniusという1つのグループとしての活動に至ったのだ。
ちなみに余談だが、レコーディングなど活動を行うにあたり3人のスケジュール等の段取りを決めたりマネジメント的な役割を担っていたのはジュリアンだったらしい。
これからの歩みを表すキーワード”boygenius“
1つのグループとして活動するにあたり、この記事を読んでいる全員がご存知の通り、3人は“boygenius”という名を冠することになる。
この名前の由来には2つの意味が込められている。
1つは古来より根付く男尊女卑の風潮への皮肉。
才能を手にした男性は「天才少年」は持て囃されその創造的なアイディアや意欲的な行動が称賛される一方で、女性は自身の意見を押し通すことなく慎ましやかに過ごすことこそ美徳とされる風潮から、いつしか無意識に自分の意見を抑制するようになってしまったことを指しての、3人の間での皮肉交じりのジョークだったようだ。
一方でこのキーワードは3人にとっての「魔法のキーワード」でもある。
今でこそインタビューなどでの3人の丁々発止のやりとりはお馴染みだが、スタジオでの楽曲制作を始めた頃、特にフィービーはかなり引っ込み思案な性格だったようで、1日に何十回も二人に対し何かと謝ってしまっていたという。ついついそうしてしまうフィービーに対し、2人はフィービーのことを素晴らしいアーティストだと思っているからこそ今ここ(スタジオ)で一緒にレコーディングしているのだと伝え、その癖を克服できるように手助けしていたという。その一環でジュリアンが用いていたジョークこそが"boygenius"という言葉だった。
要は持て囃される「天才少年」として自信をもって意見を出していこう、ということだ。
またフィービーだけでなく、ジュリアンにとっても礼節というものを誤解せずに、自分の考えを全て言えるようになるきっかけとなったよう。
素晴らしい作品を作ることになる者というのは、自然に優れたアイディアが湧いてくるのではなく、良し悪し関係なく自分のアイディアを全て口にしているのだ、と語り合った3人は、いかに馬鹿げた言葉やアイディアであっても、3人の間ではためらうことなく相手に伝えよう、という姿勢を大事にした。
boygeniusとは、これまでの慣習によって刻まれた呪いのような自重を打ち破り、3人の間では、あるいは3人が1つのグループとして活動するにあたっては考えや行動を躊躇せず全て出していこうという、決意そのものであり、意思表明であり、行動原則なのだ。
これまでそれぞれがソロアーティストとして一身に負っていた注目やプレッシャーは、互いに信頼関係とリスペクトをもった3人で分けあうことができる。それでいて、アイディアを躊躇なく出していき、3人で形にできる空間。それこそがboygeniusの生み出す音楽の魔法の秘訣のほんの一部なのかもしれない。
EPが完成すると、事前に各音楽メディアに対して”boygenius“の文字やMatador Recordsのロゴが添えられた3人の写真を送付し活動を予告し、2018年11月に満を持してEPをリリースする。
(写真は、かつてDavid Crosby, Stephen Stills, Graham Nashから成るスーパーグループとして活動したCrosby, Stills & Nashによる同名アルバムのジャケットのオマージュ。)
そして当初の予定通り3人が参加する合同ツアーの開始を控えた前夜、ナッシュビルのライマン公会堂(Ryman Auditorium)にて、boygeniusとした臨む初めてのライブをおこなったのだった…。