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私が言わなくなったこと

ある日のワタナベ薫さんのブログ記事を読んで
考えさせられました。


そういえば最近、「普通○○だよ」と言わなくなったことに気づきました。


・押し付けられてきた過去

子どもの頃から「普通こうだよね」と
何度言われたかわかりません。
「私は頭がおかしいのか」と思ったくらい。

今なら○○にこれらが入るでしょう。
「子育て中は他のことを全て諦めるべき」
「給料は我慢料。辛くて当たり前」
「子育て中なら、どんなに辛いことも我慢すべき」

染み付いている人が多いと感じます。
他人からの無言の圧力を感じることがあります。

・押し付ける方もストレスがたまる

記事にもあるように、「普通」を押し付ける方も
ストレスになっていると感じます。

我慢し続けている人から見たら
「楽しそうに生きている人」を見ると腹が立って仕方ないでしょう。
「私と同じようにあなたも我慢しなさい」と
言いたくなるのでしょう。

押し付けるとストレスになるのもありますが、
ストレスが溜まっているからこそ、他人に、「普通」を押し付けたくなるかもしれないと気づきました。

・自分に構ったら?

そもそも他人に構っている人は
「暇人」とも言えます。
自分の人生を生きていないから、
他人の言動が気になって仕方がありません。

記事中で薫さんも
「自分に構おう」と言っています。
一般人の私と比べ物にならないくらい、赤の他人から「普通」を押し付けられているようです。

・感想

話は変わりますが、
高校生の時からの友人がいます。
大学も一緒だったので、彼女と9年間過ごしました。

私は子育てしてますが、
彼女は独身生活を謳歌してます。
面白いのが、「人生の選択の結果が今だから」
お互いに言っていることです。

学生の時、他の友人から
「あなたたち全然違うタイプなのに、
よくそんなに仲良くできるよね」と
不思議がられてました。

お互いに違う人間であるのが前提に
付き合っているから、
ここまで長く付き合ってきたことに気づきました。
どちらかが普通を押し付けていたら無理でしょう。

互いに「違う人間である」という前提があれば、
長く付き合えると感じました。

以上、ちえでした。
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