カレー、ラーメンと日本のファストフードの話が続いたところで、なんとなく皆さんにも予想がついたでしょうか。そう、今回は
“仏教”のお話をしましょう!
写真はピザという名のイタリアの食べ物です。
みなさんにはマイブームがあるでしょうか。
僕にはここ最近ハマってることがあります。それは
“マイ仏教”
タイ仏教ではなく、マイ仏教です。
語源は話すと非常に長くなるのですが
これです。完璧な一方向フィーチャリングであります。
しかし、この著者をリスペクトしているので問題無いはずです。
ちなみにこの本の著者は、ご存知の方も多いと思いますが
この右の変なおじさん、いや変態なおじさんです。
左の女性は誰だか知りません。
ともかく、僕は5年ほど前から仏教に興味を持ちました。
きっかけはフジテレビでは無くNetfrixのドキュメンタリーで瞑想のことをフィーチャーした番組をなんとなく観たことでした。
曰く、カウンターカルチャー時代のサンフランシスコで起こった“禅”ブーム。
その中で、僕が若き日に読んでいたビートニクの作家や、その時代のサブカルチャーに憧れて聞いていたミュージシャン達が瞑想をしていたり、シリコンバレーで生まれた多くの若き起業家たち、そうスティーブジョブス等が瞑想や座禅をライフスタイルに取り入れていたり、さらに現代ではもっとポップにヒュー・ジャックマンやグウィネス・パルトロウといったハリウッドスターや映画監督のデヴィット・リンチなどのアーティストの多くが取り入れているといった内容を語っていました。
その頃、僕は経営していた飲食店を、長い間脇で支えてくれた後輩に譲り、LOVEPAKUビジネスを1から、いや0から始めたところで違う意味で“迷走”していました。
そんな時、番組に影響を受け手に取ったのがこの本。いやいや↑↑↑の本じゃないですよ。悩んでる時にアレを手に取ったらもはや病んでいる、ソッコーで入院だ。
そう↓↓↓この本です。
失敬。ホントのホントははこれ!↓↓↓
なにやら仰々しいネーミングですが、その時の僕にはシンプルな言葉だけになんかスッと入ってきたんです。
この著者のペマさん、アメリカの仏教界では有名な方で、その後Youtubeとかで映像も観ましたが、ホントにチャーミングなお婆ちゃんで、本の内容もその人柄そのままで押し付けが一切なく、瞑想の説明もブディズム(仏教思想)の話も優しさに溢れて丁寧で、仏教的考え方の入門書として、また何かにつまずいている人にとって非常に良い本だと思います。
そもそも“仏教”なんて言葉を使うとなんか構えてしまうんですが、仏教というのは、だれか特定の神様を崇める、いわゆる一神教ではなくて、すごーーーく簡単に言うと“まずは自分と仲良くなりましょう、その上で他人に優しくなりましょう”ってこと。
この人みたいに自己中なまでに自分と仲良くなれなければ、これほど仲間を思いやることはできないし
ましてやボールとは絶対にともだちにはなれない。(この場合、後ろの“えっ”と言っている人のリアクションが一般的には正解である)
また、僕はここ1年ほど瞑想を日課にしていますが、まだまだ日本だと話しづらい感じになっています。
なんか特別な宗教的儀式のように捉えているフシがあり、「瞑想してるんだー」と話すと「へ、へー、へー、そうなんだ、、、」みたいな
こんなんや、
こんなんや、
もはや、こんなところまで思い浮かべていそうなリアクションである。
(最後のこれは瞑想ですらなくなにかの儀式だろう。)
ところが、“YOGA”や“マインドフルネス”なんて言えば
こんなんや、
こんなイメージになって「オシャレ〜、セレブっぽーい、痩せそ〜」みたいな偏差値5くらいの発想になるのですが、
YOGAはヨーガという瞑想法の一種であるし、マインドフルネスは仏教の基本的な教義を横文字でカッコ良く言っただけである。
こちらの写真など先の2枚目の彰晃と似たスタイルですが、何故だかお洒落に感じますね。ホワイト効果と言われる目の錯覚です。嘘です。
ここで、なぜ僕らが“宗教”という言葉ににアレルギーがあるのか、僕なりに考えて見たのですが、長い時間語り継がれてきた宗教の教え自体は仏教に限らず誰が聞いても素晴らしいはずですよね。
ですから、もう結論から言ってしまうと、ズバリその“団体感”ではないでしょうか。似た考えの人が集まって、ひとつの目標に向かってなんか頑張らなければいけない。
そう「信仰=団体行動」=「なんかメンドクセ!」なんじゃないでしょうか
僕も基本的には団体行動が苦手です。酒好きなのでよく飲みに行きますが
少人数で飲むのはいいのですが、多勢になると「メンドクセ!」が出てきます。
ですので、別に団体には属さず特別人にも語らず、
今語っているじゃん!とお気付きのそこの奥さん、
僕は今六本木ヒルズの170平米のリビングで、シルクのガウンを身にまとい、コルビジェのソファに腰掛け、ブランデーグラス片手にヘラジカの首の剥製を眺めながらAlexaに口頭でこの文章を綴っているところなのでちょっと黙っていていただきたい。
チョー自分勝手にMY仏教WAYを歩んだり歩まなかったりでいいと思っています。
また“自分”と言えば、どうも世の中一般的に「自分探し」という行為がとても素晴らしいことのように捉えられているように思います。
何年か前に元サッカー日本代表の人が「自分探しの旅にでます」とわざわざ公言までして日本を飛び出し、リハビリ中のお相撲さんとサッカーをして話題になったこともありましたね。彼はその後本当の自分を見つけたのでしょうか。
というか、今までに“自分探し”というものをして“それを”見つけた人がいるのでしょうか。
仏教では2500年前から“無我”という概念があり、「本当の自分なんてものはそもそもない」と説いています。“確固たる自分”なんてものがこの世で一番厄介で一番面倒臭いものなのに、なぜみんなわざわざ探そうとするのか不思議でなりません。自分探しより“自分なくし”のほうがずっと楽に生きれると思うのですが。
僕の尊敬する世界的なアーティストである横尾忠則パイセンも
「自分が思っている「自分」が本当の自分だと思っているところにまず問題がありそうだ。だいたいの問題は“自我”という厄介なものである」
「捨て身は自由への第一歩」
「生きにくくしているのは全て自分に固執しているからだ。固執するほど大した自分かどうか考えてみよう。自分なんてあって無いようなものだと思えると随分生きやすくなるだろうね。」
といった無我チックなことを雑誌などのインタビューで発言しています。
また、かのお釈迦さん(ブッダ)も、王国の王子として将来を約束され、民からも非常に愛されていたまさに順風満帆なときに全てを捨てて出家しています。これぞ究極の“自分なくし”であり、シャカソード(お釈迦さんのエピソード)の中でも特にグッとくるところです。
もうひとつチョーシンプルに仏教の教えを挙げると
「思考を無くせ」です。一方で、とても偉いお坊さんたちは皆口を揃えて
「人間の思考には限りがなく1000の槍で突き続けても無くなることはない」とも仰っている。矛盾するようですが、つまり瞑想は自分の思考に気づき、それを放っておけるようになる訓練なのです。そうすると日常生活全般に余裕が生まれるし、なにかに集中することが簡単になります。
“思考”というものは、人間にしか備わっていない非常に便利なツールである一方で、世界で起きている様々な問題も、自分という個人の中の問題も原因はその“思考”です。「生まれ変わったらゴールデンリトリバーになりたい」と7歳児バリのことを公言している僕ですが、本気でそう思っています。だって煩悩に縛られないなんて最高じゃないですか。この僕の人生、煩悩のおかげでどれだけ道を誤ったことか、考えれば考えるほど食欲を失って、1日3食しか喉を通りそうにありません。夜食が食べられないんです。
“煩悩”
これがいろいろな問題の原因であることは、仏教を学んでいなくとも薄々は気づいている方も多いと思いますが、これも思考が生み出す幻想です。
もちろん、無駄な思考をなくし“悟り”の状態に近づくのは簡単ではありませんが瞑想や禅がそれを助けてはくれます。
ところで、僕が最近本にして出版してひと儲けしてやろうと思っている、究極に簡単な“悟り”の方法があります。
出版された時10冊買って9冊を友人に配るという仏心MAXな皆さんたちには特別にお教えしましょう。
ズバリ“軽い二日酔いになる!”です。
軽い二日酔いの朝、呼吸困難に陥りそうなくらい乾いた喉に命の水を流し込み”ブッハー”とソファーにダイブ。そう、この瞬間ですよ!なーんも考えられないし、何かをやろう(得よう)なんて気はいっさい起きない。この境地なのです。
ブッダぱいせんが菩提樹の下で開いた境地はこれだと思います。
そう、軽い二日酔いの時に鏡を見ればこーんな顔してます。
顔のパーツの話ではないですよ、、、表情、表情のことです!
こんな進撃できない巨人状態や
ドリフ的“立ってられへーん”状態や
左門豊作のフルスイングで引っ叩かれたような頭の痛みを覚えたらそれはもう駄目です。
まずは、程よい二日酔いになるお酒の飲み方を勉強しましょう。
それが“悟り”への第一歩だ!
ちなみに、本のタイトルは「鳥貴族特別晩餐会コース(1,192円)で誰でも簡単になれる仏陀」略して「鳥陀(トリダ)」としてちくま書房より発売の予定は今のところありません。
それはさておき、仏教とひと言で言ってもブッダが悟りを開いた2500年以上前に始まり、タイをはじめとする東南アジアに伝わり、その後中国へと渡り、そこから伝わったのが日本の仏教であり、その種類も大乗仏教、小乗仏教、上座部仏教、チベット仏教など、さらには各種密教系などよりどりみどりでっせ〜奥さーん!
と言った、歴史や細かい分類などの学術的な話にはほとんど興味がないので少しは知りたいという方は勝手にウィキってください。
そもそも日本は仏教の国であるはずですが、実際には世界でも類を見ない無宗教な国だと思います。かく言うわたしも仏教徒であるとは言えず、若いときなどはクリスマスに喜んで女の子とミサに行っていたし、友人の結婚式ではハリキッテ賛美歌を熱唱し、デートの時にデオドラントを塗りたくる無臭狂でもあります。
しかし、仏教という宗教に入信はしなくとも、その教えには非常に惹かれるものがあります。どちらかというと若い時から宗教に対しては批判的ですらあった僕ですが、一人の神様を崇めて救いを求めるスタイルや、選挙の時だけ電話をしてくるカルト的仏教団体には興味がないだけで、今思えば身近に多くの仏教と接しながら生きてきたのです。
例えば、皆さんご存知のジョンレノンのメガヒットソング「イマジン」
当然僕も若い時からヘビロテしてきたこの名曲。
これは、完全に仏教界のメガヒットチューン「般若心経」からインスパイアされていると思います。
是諸法空相。不生不滅。不垢不浄。不増不減。
ぜーしょーほうくうそう。ふーしょうふーめつ。ふーくーふーじょう。ふーぞうふーげん。
(この世のあらゆる存在は実体を欠いていて、生じることもなく、滅することもなく、汚れたことも、浄らかなことも、増えることも、減ることも、ない)
「これもない、あれもない」のないない尽くしというこのチューンは「天国もない〜地獄もない〜国境もない〜」のあの歌詞と酷似しています。
まあ、ビートルズがもともとある時期に、仏教に傾倒していたことは有名な話ですので、とくに驚くことではないのですが。
また、仏教の基本的な教えである「四法印」の中でも特にメジャー感が強いのが“諸行無常”ですが、そうです「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」平家物語有名な一節ですね。
諸行無常というのは、すべての物事は常に移り変わるもので、一定の状態にとどめておくことはできない、ということで、一番分かりやすいのは”死”でしょうか。人間はみな平等に、そして確実に老いそいて死を迎えます。そんなん当たり前やん!と思っていると思いますが
”死”を直視することはとても恐ろしいことなのでなかなか真正面から向き合っている人はいないのではないでしょうか。僕も向き合いたくありませんでしたので試しに1,430円払って
「人は死なない」という夢のようなタイトルの本を買って読んでみました。
人は死んだら霊界に行くそうです。
最初の10ページで読むのをやめました。
1,430円も霊界に行ったのでしょうか。
最後に、仏教の教えでもうひとつ大事なことをお伝えしておきましょう。
これは、僕の尊敬する酔いどれ作家であるブコウスキーの墓標にもある“Don`t try”つまりは「頑張るな」です。
僕たちは「もっと頑張れ」「やればできる」「ドリカムを歌え」と言われ続けてきましたが、それって本当ですか?
将来は巨人のエースになると、野球部で誰よりも頑張っていたのに、ちょっと髪にメッシュを入れただけで退部となり、現在美容師をしているTくん
前田日明のUWFに感化され、格闘王を目指しケンカ武者修行にあけくれた末
りっぱな団体ではなく組に就職しシャブシャブを食べたり、打ったりしているYくん。
アイドルに憧れていつもクラスで歌っていた、3番センタークロマティ似だったKちゃん。
ジョニーロットンのようなロッカーになりたくてこれまでにギターを3本も買ったけど、今だにFのコードを押さえられずにいる僕、パンクチーマン、、、
頑張らないというのは、なにもしないということではなく、ただただ”今”目の前のことに集中して取り組むということです。”頑張る”ということは、その裏に”未来に向けて”という意味が含まれています。トイレの壁に貼るべきは「〜なる」「〜になりたい」ではなく「希望を捨てよ」であるべき、と先に紹介したペマ・チュードンさんも本で書いています。
なんだかネガティブな話に聞こえるかもしれませんが、前の2つのようなこれまで通りの高度経済成長期ウハウハテレビCM的標語の裏にあるのは過去への後悔と未来という今ここに存在していないものへの執着です。動物や植物は未来を見据えながら一生懸命に成長するでしょうか。いや、彼らにあるのは”今この瞬間”だけです。時間というのも人間が作ったただの概念で、実際に存在しているのは”今”だけです。そういう意味で頑張らないということだと思います。
”Let it be"
ビートルズはこうも言っていましたね。
”あるがまま”と。
理想の自分探しなんか頑張らずに、もっとアホになりましょ!
”理想の自分”なんかどこを探したってありません。だってそれは”あるがままの自分”以外のことなんですから。
痛ましい自死の話も多い昨今。守るべき自分なんてもんがすっかり無い、アホアホな生き方でいいんじゃ無いでしょうか。
だって、アホは”余分”なことは考えない。
だって、アホは”今この瞬間”にしか生きられない。
有名な禅の老師曰く(注:↑↑↑この人ではありません)
「仏道を学ぶとは、自己を学ぶことである。自己を学ぶとは自己を忘れることである」
ここまでは分かります!その通りですマスター!そしてここから
「”真実の自己”の時間の中の現れだけに執着してしまうようなときには、時間の中の現れだけを”それ”だ、と思ってしまいます。この特定の現れは、それではありません。しかし、同時にそれそのものなのです!非常に短い時間の間、それはそれですが、次の瞬間には、もうそうではありません。したがってそれはそれではないのです」。
ふむふむ、なるほどなるほど、って
なんのこっちゃーーーー!
僕のマイ仏教道は果てしなく続く、、、
まあ今回は、仏教をいかに易しく適切に伝えるかに頭を悩ませ3時間ちょっとかけて書き上げたものになってしまいました。100円でもいいから原稿料が欲しい、欲しい、欲しい、、、THE煩悩。
ちなみに、3時間ちょっとというと、東京駅から新幹線で新大阪まで行き阪神本線に乗り換え甲子園球場まで足を運び、全国高等学校野球選手権大会のチケットを入手し、アルプススタンドで「ヤッホーーー」と叫ぶくらいの時間です。
来年の夏こそは甲子園観に行きたいな〜
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