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体験はツーンと伸びた鼻をへし折るためにある

過去の自分を振り返ってみると
私は傷付き覚悟で飛び込み
体験することから逃げる代わりに、

「お前らとは違う」と
知識をひけらかして生きてきたように思う。

"正しさ"という壁で自分を守ってた。

だけど違う。
全く響かない。

なぜなら体験していないから
リアルさがなく、重みも深みもない。

空っぽな裸の王様状態だ。

正しさはべきネバを生み、
良いか悪いかの2択でジャッジさせる。

そんな知識を語るくらいなら
うんこを語ったほうが
遥かに有益なのかもしれない。

テハナシを知り、実践して
一番良かったことは
ツーンと伸びた自分の鼻をへし折れたこと。

知識ばかりで体験していなかった頃、
私は人を見下していた。

「自分はすごい」

そんな大きな勘違いをして周りと関わり、
自分を一生懸命主張していた。

だけどいざ、向き合い内観し
扉を開いてみると…

"つもり"だった自分しかおらず、
なんて浅はかで小さい人間だったのだろうと
恥ずかしさといたたまれなさ、残念さで
身悶えるほどのウワッが出てくるばかり。

同時に周りに対する感謝。

気付きを与えてもらえたこと
私のエゴに黙って付き合ってくれていたこと
私を見捨てずにいてくれたこと

それらがあったことで
私は謙虚さを取り戻し、愛をもって
全てのものと関わる姿勢へと自分を変えられた。

気付けて本当に良かった。

体験しなければ知らないも同然。

頭で語るのではなく心で語る。
そこに人は共感し感動する。

色々と学んでいたころの私もそうだった。

知識が人を孤立させるのは
口先だけで中身が伴っておらず、
信用におけないからなのかも。

私もまだまだ"知ったつもり"になってしまう。
そうしてジャッジを挟みべきネバを押し付けてしまう。

だけど気付ける自分でいられるように
なるべく心と頭を柔らかくして
目の前と向き合うこと。

そして自分の内側の反応をキャッチできる
感度と勇気を持ち続けること。

そして自ら体験へと踏み出し、
自分を動かすことを怠らないこと!

完璧ではなくとも自分のペースで
そうやって生きていきたいなぁと思う。

さぁ、体験しよう!

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