
理想の未来も月だった
「どんな世界を見てみたい?」
自分にそう問いかけてみた。
すると私が描く理想の世界には
「人」の姿があって、
その人達の「輪」のなかで
ただただ純粋に魂のままで
笑っている私の姿が そこにはあった。
何の抵抗も抑圧もなく
自由に自分を表現していて
私の閃きやアイデア、
好きだと感じる物事に
共鳴してくれる人たちが周りに集う。
いつしかそれが大きな輪となり
私はその中で安心してリラックスしながら
キャッチした感覚をみんなに伝え、
それをみんなで体験していく。
なんの制限もなしに思い描いていたら、
私は輪の中心となってみんなを引っ張る
発案者になりたい!って気持ちがあることに気が付いた。
引っ張るだなんて…
まさかまさかの驚き。
でも確かにそうかもしれない。
この間、テハナシ会に参加して思った。
こういった場が終わった後、
私の中に浮かぶ罪悪感は
「出しゃばり過ぎちゃったかな?」だ。
自分を抑え込んで生きてきた。
周りの正解を答えて生きてきた。
だから自分の感情や感覚を発言することが
とてもイケナイことのように感じる。
自分なんかのために時間を取らせることが
申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
でもそれは、
忙しいお母さんに対しての
幼い頃の私の姿だった。
私はそれをずっと投影し、
引っ込むことを選び続けていたのだ。
だけど…
本当はもっともっと発言したい。
前に出たい。自分を抑えずにいたい。
こんな気付きがあって、
こう感じて、
こうしてみたらこうなって
これがいいと思ったんだ!
エビデンスはないけど☆
みたいに。
話の中心となり
無邪気に心のままに感じたことを言葉にして
純粋に楽しそう!おもしろそう!を流していく。
そしてそれに興味を持って
一緒に楽しんでくれて
真剣に聞いてくれる人たちの前で
引っ込むこともなく強がることもなく
堂々とまっすぐに自分を表現したい。
私は人の中で輝きたい!!
楽しい!に心を躍らせて
おもしろそう!を追いかけて
本能のまま突き進む私を受け容れられる世界を
私は体験していきたいんだ。
そしてそれも元を辿れば、
母にそうして欲しかったんだな と、
落着した。
たどり辿ってここでもやはり『月』。
ほんと自分の決めてきたストーリーは
全て完璧なのだと改めて思い知った。
*
"想像できることは創造できる"
どこかの誰かが言った名言。
私もそう信じる。
罪悪感は『月』が作り出した幻想だ。
それに付随する過去のドラマをお掃除して
自分の制限を越えていく。
私がテハナシをする理由もここにあった。
私は私を越えていきたい。
自分の中の全てを無くし
純粋な"魂"となっていきたい。
私にとって魂とは「光」のこと。
だから私は自分の内なる光を信じて進むのだ。
そして描いた理想の世界を
私は生きると決める。
どのようにかは宇宙にゆだねて
私はただ光の指し示す方だけを見続けていよう。
ps.
理想の未来すら思わされている
幻想なのかもな と思った。
なぜなら『月』は無いにフォーカスを向ける。
と言うことは、
理想の未来はすでに目の前に
広がっているということで
月の罪悪感から縮小の世界で
留まらせてしまっているのだろう。
今の私には『月』止まりの未来しか選べない
(ほど、まだまだ手放すものがある)けれど
その先には魂の私が決めてきた
もっと広くてもっと大きくて
自由でとてもとても眩しい世界が拡がっている…
なんとなくだけどそんな気がして
体がゾワゾワした。