自分は特別だと言う勘違い
恥っずかしいー!!!
自分のプライドの高さに直面して
日々過ごしていたら
とんでもない勘違いをして
生きてきたことに気付いてしまった。
「自分は特別だ」
この考えがこじらせ人生の
発端なのではなかろうか、、
人とは違う。
特別でなければならない。
というか特別であってくれ!
この考えを持っているから
素直じゃなくなっていく。
人よりも優位に立とう。
勝ろう。奪ってやろう。
そんな競争意識が生まれる。
でもそれが叶わなさそうだと分かると
弱者になり病気を作り出し
問題を生み出し、人の配下に下って
施しを受けようとする。
どちらも「自分は特別だ」という
くだらないプライドを守るため。
自分自身を直視せず現実逃避するため。
なんだよね。
そもそも「自分は特別」だなんて
自分が作り出した虚像で、
その根っこには寂しいというエゴの声と
惨めな自分を受け入れられない弱さがある。
成長過程で否応にも
人と比べられる段階は必ずあるもので
その時に感じた劣等感。
その劣等感、、
自分は人よりも劣っていると言う現実を
直視出来ず、未消化のまま残しているから
こんな勘違いをし続けてしまうのではなかろうか。
自分に失望したくない。
怖い。勇気がない。
(自分を失う怖さと似ているのかも)
それがねじれにねじれ、
プライドという着ぐるみに身を包み
「本当の自分はこんなんじゃない」と夢を見る。
そしてその着ぐるみを握りしめ
作り出した虚像に追いかけられるから
苦しい人生しか選べない。
自分を犠牲にし、追い込んでいく。
ヤダヤダ違う違うと駄々をこねる。
最悪だ。
自分なんて大した事ないし
人より優れたところもない。
ただの平凡な凡人で
能力もなければ才能もない。
出来ないことだらけだし
人に迷惑はかけるし
どんくさくてのろまで
すぐ泣くしすぐ落ち込むし
すぐに傷付く。
でもそれが「自分」なんだ。
正直痛い。
(これまでの自分もイタイ 笑)
まだすごい自分を持ってたい。
だけど、、
そんな愚かな自分を受け入れると
それでも許されている自分がそこにはあって
なんて自分は恵まれているのだと
感謝が沸き起こる。
世界の優しさに触れる。
そんな世界の大きさに比べて
「私ごとき」が出来ることはというと
日々湧き上がってきたものを粛々とお掃除。
そして人から見ても気持ちの良いカタチで排泄してくこと。
素直な心と謙虚な姿勢で
自分じゃないものを取り外していくことしか
出来ないのかもしれない。