私はどこまで偉そうなのか
はぁ〜、最近自分のプライドの高さを
目の当たりにしている。
(というかやっと自覚したw)
どんだけすごい自分でいたいんだか。
この間、思い立ってある人の講演会に行った。
そこに来ている人はみんなその人の大ファンで
目をキラキラさせ登壇する彼女を見ていた。
そんな中私が思っていたのが
「なんだ大した事ないじゃん」だった。
すごい話が聞けるのではないか
何か良い気付きがもらえるのではないか
そんな期待を胸に出向いたもんだから
自分の理想とは違う講演内容にがっかりしたのだ。
そしてその矛先を彼女に向けた。
マウント…とまでは行かなくとも
素直な気持ちで話は聞けていなかったと思う。
そして脳内で自分の知識を振りかざす。
知ってる言葉を並べ理論立て
私だって知ってるのよ!アピール。
(しかも自分の脳内だけで)
ダッサ。
知識があるからといってすごくも何ともない。
だけどそうしてしまうのは幼い頃に
無知を理由にバカにされ傷付いている私がいるから。
「そんなことも知らない(分からない)の?」
この言葉が私にとって
結構な刃となるようだ。
バカを認めらることが出来ない。
あと、何の取り柄もない私だったから
ひとりぼっちの時間を学びの時間とすることで
仲間はずれにされた寂しさから逃げていた。
孤独はイヤ。孤独が怖い。
どちらにせよ私は「お前らとは違う!」って
周りを見下すことで自分の心を守り続けていた。
また、はるかに聞けば分かると
家族に頼られることも嬉しかった。
知らないって無知を認めることは
自分は無価値ですを認めることになる。
自分の居場所を失うことになる。
それが怖かった。
必要とされ頼られる
すごいはるかでありたかったんだ。
そうは言っても知識の壁は
心を固くする。視野を狭くする。
こんなの私の望む世界じゃない。
分からなくっても大丈夫。
知らなくても許される。
そのままで愛される世界を私は生きていきたい。
だから、、
自分がバカなことを認めよう。
…そう思えたのは、
登壇する彼女に向けて目をキラキラさせ、
素直に大好き!って想いを向けてたあの子が
とっても可愛くて眩しくて羨ましいなって思ったから。
素直が一番。
もちろん愛をベースにね!
プライドは素直さを濁す。
自分を孤独にする。
すごい自分として戦場に向かうのをやめて
バカをさらけ出し素直で可愛い私になっていこう。
ps.
「大した事ない」って言葉は
自分に向けての言葉だった。
目の前の人は自分の写し鏡。