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"こうでなきゃ愛されない"を選んでいるのも自分
最初っから全部許されてたんだなぁ、、
って思った。
旦那さんとの温泉旅行で全てが満たされ、
私はただ 在る だけでよいのだと感じたことで
外の世界にも変化を感じ始めた。
まず、旦那さんに対しては
よりシンプルにあるなし探しをするのではなく、
もう絶対的にあるものとして素直に自然なままの私で関われている。
お金を稼ぐから
仕事をしているから
そんな条件の枠を超えて
寄り添い支え合う…そんな感じ。
純粋に相手を大事に思うエネルギーへと変わった。
そして職場先でも
さらに私は私でただ 在る 存在として
立っていられるようになった。
仕事が早い遅いや要領の良さ、
愛嬌のあるなし
そんなの関係ないのだ。
どんなときも
どんな場所でも
私は最初っから許されていた。
受け容れられていた。
それを「そうじゃない!」としていたのは
私の心が戦っていたからだ。
"こうでなきゃ愛されない" と
「月」にしがみついていたからだ。
信頼し、ゆだねる。
そのためにも心を開いて今を生き、
自分の内側の反応に集中すること。
"「月」に振り回されていないか "
自分で自分をチェックするのだ。
私の体感として自分の月を知ったことで
よりフォーカスが向いて
気付きの速度が増したように感じる。
自分を変えたーい!って
あの手この手とやってきたけれど
月さえやっときゃいいのかも。
…なんて、
色々やってきたからこその
気付きでもあるんだろうね。
私だけに限らず全ての人が
最初っから許されている。
意味や価値を置かなくても
そのままの自分で在るだけでよい。
だけどそれを許せないでいるのは
心の奥底にある不安や孤独。
分かってほしかった本当の感情だ。
それがねじれにねじれ
エゴとなり、相手を攻撃する。
自分を傷つける。もろもろこじらせる。
だけどそれも全て幻想。
「月」はすでに満ちている。
戦わなくても欠けることはない。
それを内側を見ずに
目の前の出来事に咄嗟に反応するから
ない!と声を荒げ、その通りの現実となる。
月は埋めなくていい。
ただ "気付く" だけでいい。
今回 私が学んだこと。
近しい相手、コミュニティでそう実感できた。
だから次はもっと広い範囲でも
その感覚を体感し自分に染み込ませていきたい。
あ、もちろん
一度体感したからといって
完全に手放せたわけではないことは分かってる。
繰り返し繰り返し
だけど奥行きを持って
いろんなドラマが繰り広げられていくだろう。
そしてその度に気付くのだ。
最初っから許されてたー!ってね。
そうやって自分の速度で月を手放していく。
それでいいんだと思う。
ほんと「月」はおもしろい。
そしてこの「月」を選んできた自分はもっとおもしろい!