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読むとき、聴くとき
前回の記事の、続きのような雑記です。
薄ぼんやりと、でも確かなものとして気づき始めたことがある。
それは、「書いてあること」、「話していること」と同じか、もしくはそれ以上に「書かなかったこと」、「話さなかったこと」がポイントだということ。
何を書かなかったのか……
何を話さなかったのか……
いやいや、これ言い始めたら、キリがないがな!!とわたしの理性は言うのだけれど、
感性は、そうだよ、本当にそうなんだよ、と言っている。
先日の、星の坊主さまのイベントの話にまたなるのだけれども、参加者からの質問に坊主さまが答えでいるときに、
あ、あのことはあえて言わないんだなと、感じたのだ。
もはや、これはインスピレーションに近いのかも。
そこで言わなかったことの大切さが、実際話していることと同じ密度で感じられたのである。
坊主さまとテレパシーで通じてるの〜?
ってことではなくてね!!いや通じているのだけど(笑)
言語化したか、していないか、
ということだけでもなくてね。
そういえば、わたしのピアノの先生がレッスン中に、「フランソワ(わたしが憧れているピアニストです。戦後に活躍された方)の場合は、あえて本番でこういう風に弾くのよ。練習では、こうしてるのに。」とピアノを弾きながら、話していたことがあった。
フランソワは、本番のインスピレーションであえて違う演奏をしてるんだと。
「いやいや、あなた、彼の練習に立ち会ったんかいっ!!」と心の中で突っ込んだが(声に出てたかも)、
ピアノの先生は、その人の演奏を、聴こえる音楽だけでなく、聴こえない音楽も同時に感じているんだなと思ったのだ。
他の人の演奏と比べてじゃないの〜?ともわたしは思ったのだが、おそらくそんなことではなくて、本当にそう感じたんだと思う。
しかも、先生には、当然のように確かなものとして。
これは本を読むことや、話を聞くこととも通じること。
受け手からすると、必要なこと全部伝えてよ!!という気分なんだろうけれど、
あえて表現しなかったこと、
にも感性を働かせると、ものごとをさらに深く広く感じるようになる。
わたしは、立体的に感じたいがために、もしくは感じてほしいがために、全部伝えたいし、全部伝えてほしい、って思っていた。てんこ盛りサイコー!!
でも、そんなの、、、
洗練されていないし、なんならおこがましいわよね。全部、伝えようって。。。フッ
なんてことを感じています。
最近、わたしの感性がどんどん変化してきているなー。
もっと、シュッと削ぎ落とされるのかしら。
ただ今、TAKAHIRO変容中!!!
いやはや、前回に続いて、この記事も、
イベントの内容に触れてなければ、感想でもないじゃん!!!!
そこは、あえて書いていないんですわ。