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ドラマ「沙粧妙子 最後の事件」を観なおしてみた。(ネタバレあり)

1995年の夏に、放映されたこのドラマ。

当時は、犯罪心理学やプロファイリングが題材のドラマや小説がすごく流行っていた。この少し前に公開された映画「羊たちの沈黙」の影響もあるのかもしれない。

快楽殺人。
口の中に薔薇の花びらが入った凄惨な殺害現場。
薬が手放せない頭のいかれた女刑事。

当時、中学生だった私は、真夏の風呂上りにアイスをほおばりながら、このドラマをなんとなく観ていた。しかし、ストーリーはぼんやりとしか覚えていなかった。

覚えていたのは、薔薇の花びらと死体、男を毒殺してまわる国生さゆりがゾッとするほど綺麗だったこと。

あれから約30年経って、ふと観たくなり、Amazonでアホみたいに高いDVDボックスを購入した。

思わず夢中になって観てしまった。
今や、沙粧ロスに陥っているほどだ。

当時の流行りの、猟奇殺人や犯罪心理学を扱っただけの作品ではなかった。

人の悪意や闇、それに呑まれてしまう人間の危うさを描く一方で、どす黒い波に呑みこまれないように抗い、人間らしく生きようとする人の強さを描いている作品だった。

その中で、柳葉敏郎演じる松岡刑事の存在は、とても重要だ。
闇に呑まれてしまった、もしくは寸前の、梶浦、沙粧、池波といった主要キャラの中で、松岡は、彼らの世界とは対岸に属する人間として描かれている。

元気とやる気だけが取り柄です!といった感じのフレッシュな若手刑事。
彼の世界は、愛する恋人との結婚を控え、幸せに溢れている。

殺人犯の感覚に同化するなんて到底理解できない、と言い、人間らしさの欠落した沙粧の言動に何度も怒りを覚え、沙粧とのコンビを解消したいとたびたび願い出る。

しかし、結局彼は最後まで沙粧と共に行動する。
彼の強い正義感と、お人好しが過ぎる優しさから、沙粧を梶浦の闇から救ってやりたい、と思ったのかもしれない。

彼は、事件を追う中で、最愛の恋人を殺されてしまう。健全だった彼の心は壊れ、「暗い海」へ引きずり込まれていく。

婚約者の幻覚を見る。
犯人に対する憎しみに呑まれる。
犯人を許さない、ぶっ殺してやる、と思う。
沙粧の妹を囮にして犯人をおびき寄せる狂行に走る。

しかし、松岡はギリギリのところで暗い海へ飛び込むことを踏みとどまる。
襲う憎しみの感情や悪意に抗い、呑みこまれることなく、自分を生きていくことを選ぶ。それが最愛の人を失った辛い現実であっても。

松岡と、殺人犯と同化してしまった梶浦や、沙粧、池波との違いは何だろうか。IQの高さや感受性、知識の深さの違いだろうか、単純に松岡が平凡で鈍い人間だったからだろうか。

私は、松岡が「自分は自分である」という自信をしっかりと持っていたからではないかと思う。
今でこそ、生きづらさの原因は自己肯定感の低さである、とか、自分を認めてあげることが大事だ、などと言われ始めているが、松岡はまさにそういう人だったのではないか、と思う。
目の前の現実を受け入れ、自分らしく在り続けること。
松岡の在り方は、この作品の隠れたテーマの一つではないだろうか。

このドラマに出てくる犯人は、どの人も少し哀しい。
その哀しさは、特別なものではなく、誰の心にもあるものだ。
だから、ドラマを観ている側は、実は少し犯人のことが好きになっていたりする。

例えば、私は個人的に、国生さゆりの北村麻美が好きだ。
女性としての魅力を十二分に発揮し、それをアピールしながらも、プラトニックな愛を求めるアンバランスさ。
小さな女の子が夢見るような男性とのおつきあいを好む幼稚さと、女の身体を求めてきた男を容赦なく毒殺してしまう非道なまでの潔癖さ。
梶浦という得体の知れない男に、白馬の王子様を求めてしまった孤独さ。

人の心はこちら側とあちら側で境界線を引けるものではない。
私たちの心は常に暗いものを内包している。
それを抱えながら、人間らしく生きていく。
いいドラマだった。

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