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お誕生日会

昔、勤めていた会社は、毎月一回、お誕生日会があった。
朝礼で、その月に誕生日を迎える社員が前に呼ばれ、ひとりひとり、社長から「おめでとう!」と言われながら、社販でしか使えない商品券1,000円分を手渡される。最後は、ハッピーバースデーの歌で締めくくられ、みんなから拍手をもらいながら、席に戻る。
私は、その恒例行事が、嫌で嫌でしょうがなかった。

なぜ、またひとつ歳をとったことを、まわりに知られなければいけないのか。なぜ、珍妙なとんがりぼうしをかぶって、人前に立たないと行けないのか。なぜ、嬉しくもないのに、ハッピーバースデーの歌に合わせて、楽しそうに手拍子をしなくてはいけないのか。
私にとって、全てが拷問だった。

有志で、その会を盛り上げるべく、モジモジくんのような全身タイツを着て、パーティサングラスをかけている社員までいる。
お誕生日おめでとう!イェーイ!
この雰囲気を、楽しめないやつはおかしい。
そういう圧力があった。
私は、そのおよそ10分間の会の間、終始、顔をひきつらせ、パンプスの先をじっと見ていた。

次の年は、自分の誕生月が近づくと、総務の子に、お誕生日会はいつやるのか確認した。そしてそのお誕生日会の朝、私は都合よく腹痛になり、朝礼が終わる時間を見計らって出社した。
商品券1,000円はデスクの上にしっかりと置いてあった。
遅れて出社すると、会社の重鎮(おばさん)が、「今日はどうしたの?」と、声をかけてきた。
適当にゴマかせば良かったのに、私はバカ正直に「あ、お誕生日会嫌だったんで。ははは。」と答えてしまった。
「ええ~。信じられなあ~い。」
おばさんは、その時は冗談ぽく笑っていたものの、本心では気に食わなかったのだろう。後で私の上司にしっかりとチクっていた。

その次の年の誕生月も、私は同じことをした。
モジモジくんはパワーアップして、バズーカのようなクラッカーを持つようになっていた。
いつもの朝礼の、社員一言スピーチで、モジモジくんの一人が「いくつになっても、人に誕生日を祝ってもらうのって、いいものですよねえ。」と感慨深そうに語っていた。

それは、それは。
あなたはそうなんでしょう。
でも、私は、祝ってくれる人と場所を選びたい。
だって、自分の誕生日だから。

こういうものを、嫌だという権利は、ないのだろうか。
たかだか、会社の福利厚生のお誕生日セレモニーである。
業務とは一切関係がない。

こういう時、少数派の意見は大抵、黙殺される。
ノリが悪い奴だ、協調性のない奴だ、コミュニケーション能力のない奴だ。
10分間くらい我慢しろよ、という人もいるかもしれない。
でも、私は、楽しむことや、喜ぶことを、強要されている感じがすごく嫌なのだ。

繊細過ぎる、真面目過ぎる、物事を大げさにとらえすぎる。
そうかもしれない。たかだか年に1回の誕生日会なんて、適当にヘラヘラ笑っていればいいのかもしれない。

その会社の後輩から「ルルさんは反骨精神がありますよね。」と言われたことがある。
その時は、そんな精神持っちゃいないわ、と思ったが、改めて振り返ると、私は自分が嫌だと感じたことは、嫌だと表現しないと駄目なんだな、と気がついた。

大人になっても、多数派に迎合して生きていかなくてはならないなんて。
私は私でいたい、と思うことが、こんなにも生きづらいなんて。
人生は厳しい。
凪のように生きていけたらいいのに、と思う。

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ルル秋桜
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