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幡野広志「ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。」

幡野さんの写真が好きで、幡野さんのnoteの記事もたまに見ている。
私も昔、写真にハマっていたことがあり、オリンパスのOM-Dを持っていて、レンズも結構持っていた。総額30万円相当位だったと思う。
フォトマスター検定も2級まで取って、いい写真を撮りたいと、ムキになっていたのだが、ある時、自分は、スマホのカメラのほうが上手く撮れることに気がついて、あっさりメルカリでカメラとレンズを売った。
最近、懲りずにまた、キャノンのミラーレス一眼を買い直して、再び下手くそな写真を撮りはじめている。

幡野さんの写真を見たのは、ほぼ日手帳の㈱ほぼ日が運営するTOBICHI東京で、だったと思う。
書籍コーナーでなんとなく、幡野さんの写真集を手に取り、ぱらぱらとめくって、「うわぁ。」と思った。
写真に漂う空気感、雰囲気、撮る側の気持ちが包まれているような写真だと思った。それらが混ざって、「うわぁ。」という感想になった。
小説でいうと、文脈で語る感じ、に近いだろうか。
小説と言うよりは、詩に近いかもしれない。
「いい写真だなあ」と、しみじみ眺めた。

幡野さんは34歳の時に血液のがんになった。
余命宣告を受け、治療を続けながら写真を撮り続けている。幡野さんは私と同学年だ。単純に「すごい人だな」という感想を持つ。

目の前に死がある。高い確率で自分が死ぬ原因がわかっている。
抗がん剤の治療が自殺を考えるほど、苦しいものなのだと、この本を読んで初めて知った。
自分が死ぬことよりも辛いのは、奥さんや息子を残して早くに逝くかもしれない、その可能性がすごく高い、ということだろう。

だからお父さんは、息子に言葉を、写真を遺した。
息子の人生の羅針盤になるような言葉たちを遺した。
お父さんが、どうやって人生を生きてきたのか、何を考えていたのか。
理不尽な人生を、息子が生き抜くヒントとなるものを、お父さんは遺した。
息子が壁にぶつかった時、お父さんは、息子のそばにいてやれないかもしれないから。
「いい、お父さんだなあ」と思う。
私もこんなお父さん欲しかったな、と思う。
たくましくて、優しい、息子のことを一番に考えてくれる、お父さん。

幡野さんの視点は、本質を捉えようとしている。
うわべだけの正義や、善意や、世間的に「いいこと」とされることを、しっかりと見つめている。
幡野さんの写真に、「うわぁ。」を感じるのは、彼のそういう視線が、被写体の奥にある輝きを捉えているからではないか、と思う。
私は、その写真たちに、命を感じてしまう。

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ルル秋桜
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