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吉本ばなな「キッチン」
【物語要約】
幼いときに両親を亡くした大学生の桜井みかげは、祖母と暮らしていた。
その祖母も亡くなり、みかげが一人で途方にくれていたとき、祖母のいきつけの花屋でアルバイトをしていた田辺雄一という青年が「うちにこないか」と声をかけてくる。みかげ、雄一、雄一の母(実は父)の三人での生活が始まる。
これまでの人生で、喪失や孤独を一度も経験していない人は、この本を読んでも、ふーん。かもしれない。読みやすくて面白いね、変わった人がいっぱい出てくるね、くらいの感想しか持たないかもしれない。
私が初めて「キッチン」を読んだとき、大学一年生だった。日本文学の教授に、講義で扱う作品だからキヨスクで文庫を買え、と言われて買った。
私にとってはその「キッチン」が、きちんと吉本ばなな作品に触れた、初めての本だった。
私が初めて「キッチン」を読んだ感想は、冒頭の通りだ。読みやすい、変わってる人がたくさん出てきておもしろい。以上だった。
「ムーンライトシャドウ」という作品も文庫に収録されている。事故で恋人を失ってしまった女の子の話だ。こちらは大いに感動した。
多分、「愛する恋人を亡くした」というところだけが、ティーンエイジャーの心に響いたんだろう。
私は当時、「キッチン」にしても「ムーンライトシャドウ」にしても、これらの作品の本当のすごさをまったくわかってはいなかった。
私は当時、母親と祖母と犬と暮らしていた。
アルバイトに明け暮れて、早く家を出たいと思っていた。家の中で諍いがあれば、クソババアなんかいなくなればいい、くらいに思っていた。
19歳で、エネルギーに満ち溢れていて、未来だけを見て生きていた。
今いる人たちが、今自分がいる環境が、10年後にはなくなってしまうことを、全く想像していなかった。
家族を亡くすことや、老いることや、帰る場所を失くすことは、自分には関係のないことだと思っていた。
傲慢だった。
そしてあれから20年以上たった今、もう一度読んだ。
物語の中の言葉やエピソードのいちいちが、今の自分に刺さる。
19歳で読んだ時は「ふーん」でしかなかったが、今の私は、主人公のみかげに共感しかない。
みかげと雄一の関係が、ただの友達以上、恋人未満の甘ったるい関係ではないことも今ならわかる。
カツ丼のエピソードで、三途の川に片足をつっこみかけている雄一を、みかげは、必死で連れ戻したわけだが、二人は東京へ戻っても、能天気な恋人同士には、多分なれないだろう。
自分の気持ち次第で、ちょっとした状況次第で、人は、影のようにまとわりついてくるものに取り込まれてしまう。二人は、そのことを知っている。
神様、どうか生きていけますように。
この、みかげの祈りが、どれだけ切実なものか。
それを感じることができるようになったということは、私もこの20年間で、いろいろ見て経験してきたということだろう。
少しは、大人になれたのだろうか。
私はこの歳になってやっと、この本のすごさがわかったわけだが、吉本ばななは、これをデビュー作として20歳そこそこで書いたのだ。
育ってきた環境がちがうから、経験値の違いは致し方ないにしても。
にしてもだ。
やっぱり、ばなな、すげぇ、と思うのである。
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