わたしが信じるのは科学だけだ
私が信じるのは科学だけだ。
「科学的な真実」とは、今の時点で「最も・もっともらしい(plausible)仮説」のことだ。科学の仮説であるには、反証可能性を必要とする。つまり、「科学的な真実」とは「間違ってゐるかもしれない、真実としては非常にあやふな認識」である。
だから、科学的真実とは、一般に「真実」といふ言葉から受け取られてゐるやうな、何かの長い探求のはてにやっと手にできた最終的な認識、・・・といふものからはほど遠い。
むしろ、対極にある、ほとんど錯覚や幻想に近い、ふだんの暮らしで思ひ込みと呼ぶものと大差が無い。
だからこそ、わたしは科学だけしか信じない。科学を信じても、わたしは何に縋(すが)れるわけでもない。
科学以外の真実はどれも巨石のやうに大きく堅く不動であるから、それを信じたとたんに、もうわたしはそれしか見えなくなる。それに較べると、科学的真実とは、世界に打たれた点にすぎない。
この既知といふ点には、幅も厚みも無い。世界に関してヒトが認識できることのすべて、そして、ヒトの認識の最先端は常に、文字通り先端であり、つまりは点でしかいなといふことだ。
認識が広がりを見せると同時に世界はさらに広がる。
点以外の世界は依然としてヒトの認識の外にある。
科学が明かにする真実は、わたしたちが科学によって手に入れる既知は、この先も、ずっと、未知の中の一点に過ぎない。
わたしが科学を通して信じるのは、そのことだけだ。
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