大人の漫画感想文「凪のお暇」
あらすじ
このような感じで悪と戦うわけでもなく鬼に食われるわけでもなくスポーツに青春をささげるでもない物語です。
選んだ理由
この漫画は、途中までアプリで読んで最後の3巻をTSUTAYAで借りて読んだ。
日常系?(っていうのかな?漫画詳しくないからジャンル分けが分からない)ってなんだかほのぼのして自分の生活に与える影響が少ないだろうと思って読むことを避けていたのだけれど。つまり私は漫画を人生の教訓を得ること、自分の堕落した生活に喝を入れること、を目的に呼んでいたのだけれど。この漫画は少なくとも自分のものの見方に喝を入れてくれた。
選んだ理由は途中まで読んでみて、がっちがちの固定観念というか達観したふりをする脳みそが殴られた気がしたからである。
感想文(ネタバレ含む)
思うことはいろいろあったので少しずつ取り上げていく。
まず、出てくるキャラのこい登場人物たちの価値観の多様さが面白い。
仕事もできチームの中心にいる(口が悪い)我聞くん
メンヘラ製造機、モーゼの海割りのあだ名をもつひとたらし、ゴンさん
おそらく豊富な人生経験をもつ、凪のバイト先のままさん
お金がなくても心豊かな上の住人、吉永さん
そして
この子が一番普通に見えた、空気を読みすぎる、凪ちゃん
などなど。ほかにもまだまだいる。
凪ちゃんの周りにいる人たちの
彼らの視点で見えたものを吸収してきたその体と脳が
凪ちゃんに影響を与える。
当たり前だけど人は体が一つしかないし、脳みそも一つだから他人の視点になるということは究極無理なのだけれど人とのかかわりあいというのは他人の価値観を取り入れる手段になるのだろうと感じた。(受け入れる側の享受する気持ちあってのことだけれど)
みんなの考え方の中で印象に残ったのが凪ちゃんの働くところにお客さんとして我聞くんが来ちゃってばったり会うシーン。
悪口を言うお客さんを凪は「悪口が共通言語のかわいそうな人」と描写する。(覚え違ってたらごめんなさい)
それに対し我聞くんは「そういう踏み絵のような場所も必要、優しさで成り立ってるんだ」と。
悪口を言うことは悪だと教わってきたし私もそういうことを聞くと嫌な気持ちになる。
しかし、悪口を言う悪い人を受け入れる寛大な場所がある、必要であると知った。悪口はダメだとどんなに教わっても常識としてあっても悪口がなくならないのは人間には悪口が必要だから、かもしれない。それならその悪口をためすぎてその人が悪になる前に悪口を外に出すことを許してくれる人や場所はあるべきだ。
もう一つとても印象に残っていることは「仮想敵」である。
自分の苦手なもの、人に対して余計な妄想を膨らまして最強の像を作ってしまうことはよくあることなのだろう。どんな敵でも人間であればほとんど自分と同じ作りだ。それは仮想敵であると認識して臆しすぎないことを無敵な存在を自分の中に作り上げてしまったときに思い出したい。
我聞くん、凪ちゃんではないが私も彼のことを尊敬する。
ゴンさんは天然の対人術を持った人で
我聞くんは頭脳で対人術を駆使している人というイメージ。
人間関係の悩みが尽きない私だけれどまだ人生あるしもうちょっと頑張ってみようかと思う。そのためにまずは完璧主義を辞めねばと思ったんだけどそれってどうしたらいいの?誰か教えて。。。
ここまで読んでくれてありがとう。
「凪のお暇」ぜひよんでみてね