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小説・数学ダージリン 〜ある数学者の物語

#数学ダージリン


ネパールにほど近いインド北部。
夏でも涼しい霧深いその辺りからは、彼方にヒマラヤ山脈が望めた。
高度2000メートルを超える斜面には緑美しい茶畑が広がっている。
そこはダージリン地方。

これは紅茶で有名なダージリンの茶畑で育った一人の若者の物語である。

両親を早くで失った彼は幼い頃に農園の夫婦に引き取られた。この夫婦には子どもがいなかったので二人は我が子のように彼をかわいがった。

険しい高地の敷地周りには遊び相手の子どもはあまりいない。
幼い頃、彼はいつも畑仕事をする育て親について回って茶畑で過ごしていた。近くの野原で花びらの数を数えたり、種の並びを観察して遊んでいるおとなしい子どもだったという。
種の中には触ると飛び跳ねるものもある。その飛び跳ねの方向や広がる範囲もじっと観察していた。ミツバチを追いかけるとキチンと整った巣もまたとても興味深いかたちをしていた。育て親に「刺されると危ないから巣には近づくな」と何度も怒られたものだ。
彼にとって自然は遊び相手そのものだった。

学校に通いだしてからは彼は今度は数学の世界に興味を持ち始めた。自然界にある数の謎解きをする事も楽しみとなっていった。彼にとって花や種やミツバチの巣と同じように、数学の世界は勉強ではなく遊びだったのだ。

老夫婦は、彼が高校を卒業したら引退して彼に農園を譲るつもりでいた。
しかし勉強好きな彼を見てきた老夫婦は決断した。
「あの子を農園主にするのは諦めよう」
「そうね。ここは私たちだけでやれる分だけにして、あの子には大学で勉強をさせてやりましょう」

茶畑で育った少年は、やがてインド工科大学の学生となった。
その大学にはインドでも特に優秀な学生が集まっていた。
同級生たちがシリコンバレーのIT企業にスカウトされ次々と入社を決める中、茶畑の若者の関心事は「リーマン予想を証明」する事となっていた。

長期の休みには畑仕事をしながらも数学の難問を思索していた。没頭するあまり思いついたアイデアや感動を、まるで茶葉を相手に語っているような時もあったくらいだ。

「素数の美しさは自然界にも、たくさんあるんだ。ひまわりの種の配列だって、ミツバチの巣の構造だって不思議に溢れている。自然界の秘密を僕たちが知らないだけで、この世界は不思議に満ちているんだよ。この宇宙には、それは美しいリズムに溢れていると思うんだ。僕は数学でそんな『自然界の法則』を少しでも知りたいと思っている。素数の階段を登っていけば何が見えるのだろう。そこにある整然とした何かを僕は観てみたいんだ」

ある時、日本からインド旅行でその町を訪れた老夫婦が食堂で出された紅茶の美味しさに感動して言った。
「この紅茶おいしいわね。甘味があって澄んでいてカップには美しいリングができるのね」
「美味いな。土産で買って帰るか」
それは一般には売られていない、あの農園の茶葉だった。
彼らは食堂店主に教えてもらった住所を訪ね、その農園の茶葉を購入し帰国後も注文させてほしいと頼み込んで帰った。

彼らは田舎町で小さな数学塾を開いていた。帰国後は生徒たちにも授業の合間にお気に入りのその紅茶を飲ませていた。次第にその塾は全国模試の数学トップを独占し優秀な生徒が次々と巣立っていくようになった。だんだん世間の注目を浴びるようになっていくと、やがて、それを知った大手学習塾がこの塾のノウハウを調査しだした。教え方、教材、生徒たちの能力…。しかし比較しても何ひとつ特別なものは無かった。
ただひとつ「この塾ではダージリンティーを飲ませている」その事以外に理由は見つからないという事がわかった。いつのまにか、「ダージリンティーを飲めば数学の成績があがるのでは?」という噂がひろまっていった。それに便乗した大手学習塾は今度は「数学ダージリン」と名付けて販売しようと考えだしたのだった。とうとう業者は、あのインド北部のダージリン農園を突き止め大量注文を申し出た。
しかしその茶畑の主人は商売にはいっこうに関心が無く、「うちは細々と自宅用に作っているだけです。ご近所さんと親しいお客様に分ける分しか作れませんから」と断ってきた。「そんな注文を受けたら、あの子が大学を続けられなくなる」と思ったからだった。
結局、業者は他の農園の茶葉で「数学ダージリン」を売り出した。しかし普通の農園の茶葉で育てられた紅茶を飲んだからといって数学の成績が上がる事は無かった。結局、数学の成績と数学ダージリンティーとの相関は無いと結論づけられ、そのブームはすぐに下火となっていった。

それから十年以上の月日が流れた。
インドの農園の学生は卒業後、大学の教員となっていた。

今でも講義前の早朝、朝靄の茶畑を歩きながら数学の美しさを茶葉相手に語っているという。
朝日に照らされた茶の葉の上には、朝露がキラキラと輝いている。
新茶の季節には彼は若葉を摘み、この季節限定のファーストフラッシュで水出ししたお茶を楽しむ事にした。
ちょっと緑がかった若葉の甘みが口にひろがる。

彼はいつも澄んだシャンパンのようなダージリンティーを飲みながら数学の研究に没頭している。
思索しながら遠くを眺める彼の眼差しもまた澄んだ湖の静けさをたたえていた。

「数学ダージリン」の効果は、その若者が真心込めて育てた茶畑のリーフだけのものだったのである。
草木にも真心が通じるのだろうか。彼が友だちのように優しく育てた茶畑のお茶は確かにとても優しくスッキリとした格別な味わいのダージリンティーだった。
「数学ダージリン」に数学の成績をあげる効果があるのかどうかは未だに証明できていない。
彼ならそれを証明できるのかもしれないが商売がらみのそんな世間の事には一切興味が無かった。
彼はただ自然に向き合い数学の難問と向き合う「普通の数学者」で十分満足していた。数学の新しい発見によって名声を得る事すら眼中に無い。ただ自然界の数の謎解きを知りたいという真摯な気持ちで数学に向き合っていた。

あえて、あの「数学ダージリン」に秘密があるとすれば…
数学塾の夫妻が茶葉を譲りうける時に伝えられた言葉、そこにあるのかもしれない。

「このお茶をティーポットに入れたら、お茶を注ぎながら声をかけてあげてやってください。
『Thank you,my tea!  Open your leaf please!』

ありがとう、お茶。
茶葉を開いておくれ。」

そう声かけしながら湯を注ぐようにと若者は教えてくれていたのだった。

「数学ダージリン」に魔法の力があるとするなら、「お茶とそれを育ててくれた人への感謝をしながらいれる」その時にだけかけられる魔法だ。
そして、その魔法は茶葉たちが育った茶畑で聴いた「数学の言葉のシャワー」を浴びる時にだけ効果が現れる。

茶葉にとっての故郷の農園で聴いた懐かしい「数学のシャワー」が小さな老夫婦の塾にはあった。それがその塾でのみ、この魔法の言葉の効果が現れた事の答えかもしれない…。
誰も証明は出来ないけれど。


靄のかかるダージリンの茶畑の向こうには、彼方にヒマラヤ山脈がそびえたっている。
お茶の長い歴史を眺めてきた山々は、今も昔も悠然と万年の雪をたたえている。
彼の住むダージリンの茶畑には、静かで穏やかな時が流れていた。




田原にかさんの企画に挑戦をしようと思って書き出しましたが字数を完全にオーバーしてしまいました。
ショートショートになってないと思いましたが、「#数学ダージリン」というお題をつけて投稿させて頂きました。
田原かにさん企画外になってしまって、すみません…
とても思いつかないようなタイトルで話を作る機会を頂き、ありがとうございます♪

*数学者の言葉、科学・数学知識、ダージリンやヒマラヤの情景は、ただのフィクションと思って、ご了承ください。

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