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夜の梅 虎屋の羊羹の思い出 #シロクマ文芸部

#今日の俳句

梅の花みれば懐かし幼き日

虎の絵の袋懐かし夜の梅


#シロクマ文芸部
#梅の花
#至福のスイーツ
#今日の俳句


[エッセイ]
夜の梅幼きころの思い出と白き花

虎屋の羊羹の想い出

虎屋グループホームページ
https://www.toraya-group.co.jp/sitemap



梅の花をみると思い出す昔がある。

立春を過ぎた頃のこと、蕎麦屋の前に見事な白い梅が咲いていた。
白梅を見ると懐かしい幼き日を思い出した。その花にまつわる想い出の話をしたい。

    🐅   🐅   🐅


何十年も前、私がまだ幼かった頃。
ある昼下がりのこと。
ソファで昼寝していた父が、はっきりと聞こえるような大きな寝言を言った。
「よ、ようかんが食べたい……とらやのようかん…」
そんな父の様子を見ていた母と私は爆笑した。
幼い私は、この時初めて「虎屋の羊羹」と言う名称を知った。


起きてきた父に、その寝言のことを話すと全く覚えていなかった。
笑いながら、父は幼い日の羊羹にまつわる話をしてくれた。


「お父さんのおばあちゃんは羊羹が大好きでな…
孫たちのおやつにも、うすーくうすーく、2〜3ミリくらいずつに切ってくれたんや…
そして子どもが手の届かない茶箪笥より高い所にしまっていた。すると、おばあちゃんも自分がしまっていた事を忘れてしまったんかなぁ…
大掃除の時に見つかった時には表面に白い砂糖が固まったようになっていた。『これが美味しいんや』言うて、おばあちゃんはカチコチになった羊羹を嬉しそうに食べてたなぁ」
懐かしそうにそんな昔話をしてくれた。


羊羹の「夜の梅 」の話をしてくれた。
「虎屋というお菓子屋さんの羊羹に『夜の梅』というのがあるんや。
黒い羊羹の中にチラチラと小豆が粒のまま入っている。梅の花は闇夜では、よう見えへんのに例えて『夜の梅』というんやそうだ」
そんな話をしてくれた。

『夜の梅』は、切り口の小豆を夜の闇に咲く梅に見立てて、この菓銘がつけられました

虎屋グループホームページより

それからしばらく経ったころ、父は「黒に『金色の虎の絵』の描かれた紙袋」を嬉しそうに持ち帰ってきた。
「羊羹、買ってきた」

竹の皮のような包みから取り出した「夜の梅」の羊羹をスライスしてくれた。
断面に浮かぶ小豆は、まさに夜に浮かぶ梅の花に見えた…
子どもだった私は本物の梅の花が夜に咲くところは観たことがなかった…だから、これが私の初めてみた「夜の梅」。
夜は梅の花は、どう見えるのだろうと想像したものだ。
「白い梅の花は夜暗い時は花が見えないのだろうな…」
それにしても何と風情ある名前だろう!


至福の和スイーツの歴史

話はかわるが、私は幼い頃から「あんこ」が大好きだ。ちなみに「おはぎ」は、こし餡派。

しかしながら、こんなに素晴らしい小豆の菓子なのに外国では豆を甘く煮る味は馴染まない地域もあるそうだ。
そのため羊羹が苦手な方もいるという。


まだ羊羹の美味しさを知らない人たちにも、この美味しさを伝えたい!

羊羹という魅惑の「和スイーツの歴史」を遡ってみた。


日本列島での菓子の歴史

人は菓子なしでも生きられる。
しかし菓子は人の生活に彩りを添える。

ある説によると団子が生まれたのは縄文時代。
栗やドングリの渋みを抜いて丸めた、「いわゆる団子状のもの」を食べていたらしい。

しかし古代、「菓子」と呼んでいたものは柿などの果物だという。

確かに柿は、かなり甘い。
栗も甘味がある。
梨も和梨のやまなしは日本列島にもかなり昔から自生する。

桃や李が伝来したのは中国大陸からだという。
様々な文化が大陸から多くは半島経由で伝わった。

茶は仏教などと共に伝来したそうだが、(諸説あるが) 羊羹が伝わったのも同時期との事。
中国で生まれた小羊の「カン」は甘くなく煮凝りのようなゼラチン質を固めたものだったらしい。

しかし仏教とともに伝わった事もあり日本では肉でなく、小豆を用いるようになった。
(砂糖以前にも甘味として、様々なものが使われていたこともあろうが、砂糖キビが伝わったのは、この時代…)
大航海時代を経て日本にも南蛮文化が流入し砂糖が伝わった。
とうとう砂糖と出会い、今の甘い羊羹になっていったのだろう…
戦国時代の茶の湯の場でも菓子は楽しまれた。

異国との文化交流の中で徐々に変化を遂げた和菓子文化…
「羊羹」ひとつをとっても奥深い。


日本列島には四季がある。
この季節の移ろいを和菓子は見事に取り入れて、目でも楽しませてくれる。こうして私たちは季節を愛でる。

春には桜色の羊羹。
夏の水羊羹は、涼を届けてくれる。
秋には季節のみのり、栗の入った栗羊羹。
そして私にとって「夜の梅」は、
立春の頃の白梅を見れば思い出す羊羹なのである。


海外の羊羹〜虎屋パリ支店

さて、外国ではどうなのか?
虎屋のパリ支店の品物の案内をのぞいたら、
YOKANとして、果物やチョコレートを使ったポワールキャラメル羊羹、羊羹 au ショコラ、アールグレイ饅頭が目についた。
パリの街にお似合いの見た目もオシャレなまさに「至福のスイーツ」である。

この中のいくつかはパリ支店のほか、
国内では東京駅でも販売されているという。


私にとって和菓子、そして羊羹は至福のスイーツのひとつである。


あとがき〜非常食としての羊羹


保存の効く羊羹〜非常食としても重宝すると聞く。
私も夏の停電時用に水羊羹、オールシーズンの羊羹を非常食として入れてある。
非常時に「甘み」はエネルギーとしてはもちろんだが、ストレスを和らげる効果があるそうだ。


歴史について参考にしたのは、こちらです


[参考にしたもの]
①菓子メーカーに伝わる羊羹の歴史

黒田千年堂ホームページ
#清水羊羹黒田千年堂

時代は定かではありませんが、昔、日本では熱い吸い物のことを 「あつもの」と呼んでいました。
一方、中国では、小羊(羔)を用いた料理に「羹」の字をあてていました。
肉に菜を加えたこの吸い物が中国から日本へ伝わり、時を経て次第に 日本化し、
貴族社会などで食べられるようになると、この吸い物に 「羹」の字を当てるようになりました。

時代が変わり、中国では羊や豚、鶏など様々な動物を入れた羹が食べられていました。
そのころ勉学のために日本からやってきた禅僧たちがこの羹を日本にもたらすと、
肉食が禁じられていた禅院では、肉の代わりに小豆や大豆、米や小麦を使ってこの料理を再現し、
やがて点心として食べられるようになりました。こうして、羊の肉を見立てて作られたこの料理は
「羊羹」と呼ばれるようになりました。

鎌倉時代から室町時代にかけて茶の湯が盛んになると、羊羹から汁が消え、料理の一品となり、
やがて茶の湯の菓子へと姿を変えました。
この頃から現在のような甘味と風味になったと考えられています。

黒田千年堂ホームページより

②和菓子の魅力について

和菓子魅力wagashimiryoku.com

団子のはじまりは、縄文・古代に源流を見いだせます。

縄文時代の日本人が、木の実を粉砕して水でこね団子状にして食していた話や、弥生時代にも、蒸したうるち米を丸めて保存食や行事食に活用した話が伝承されています。

wagashimiryoku.com

③国立国会図書館
本の万華鏡 あれもこれも和菓子
第一章 駆け足でたどる和菓子の歴史




小牧幸助さん
#シロクマ文芸部 #企画参加
梅の花から始まる話に参加させて頂きます♪
毎回楽しいお題を企画してくださって、ありがとうございます😊

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