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ミネルヴァのフクロウ
ミネルヴァのフクロウは迫りくる黄昏に飛び立つ
これはドイツの哲学者ヘーゲルの著書「法の哲学」の序文の一節です。ミネルヴァとはローマ神話の神様で、知恵の女神と言われています。ミネルヴァのフクロウとは、ミネルヴァが従えるフクロウで、知恵の象徴です。
この一節に対する説明として、ヘーゲルはこのように言っています。「哲学は、現実がその形成過程を完了して、おのれを仕上げた後で初めて現れる」。ちょっとわかり難いのですが。。私なりの理解では、哲学は今、もしくは過ぎ去った時代の考え方を、時間的に遅れて形にする、という意味でしょう、。
ところが、この一節は、別の意味で、たびたび使われます。
人類の知恵は困難に立ち向かう
ミネルヴァのフクロウを人類の知恵とし、迫りくる黄昏を人類に迫りくる危機、と捉えて、
人類に危機が迫るとき、人類の知恵はその危機に立ち向かう!
という意味に使われるケースが、よく見られます。元の意味からは、かけ離れた曲解です。
コロナの初期、みんなが不安な時に、テレビで、よくこの意味で使われていました。人類の知恵は危機を乗り越える、心配しなくてもいいよ、と。
確かに、人類の知恵は、様々な危機に立ち向かい、幾度も幾度も、危機を乗り越えてきました。人類の発展を見れば、それは明らかです。
しかし、、、、
人類はそんなに賢いか?
このような希望にあふれる解釈を聞くと、どうしても違和感を感じます。人類はそんなに賢いか? と。
ヘーゲルの一節をもう一度読んでみましょう
Die Eule der Minerva beginnt erst mit der einbrechenden Daemmerung ihren Flug.
ドイツ語は苦手ですが、頑張って直訳してみれば。
ミネルヴァのフクロウは、黄昏が迫り来なければ飛び立たない
ではないでしょうか。
先にしめした様な曲解をすれば、
人類に危機が襲い掛かり、相当の犠牲が発生しないと、人類の知恵は働きださない、
という解釈が妥当ではないでしょうか。これならば頷けます。
世界中で起きている戦争、虐待が、起きる前に、人類の知恵は、その阻止に動き出したことがあったでしょうか。もちろん、何度かは事前に危機を回避したことはあったと思います。しかし、多くの場合、沢山の犠牲が出てから動き出したのではないでしょうか。
なぜ、もっと早く動き出し、犠牲を抑えられなかったのか、と思ってしまいます。ヘーゲルは、この様な意味でこの一節を書いたのではありませんが、人類の本質を捉えている様な気がします。