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教師の存在って、何だろう。最近仕事のことばかり頭に浮かぶので、いっそのことその悩みを文章化しました。

5歳の長男が脈略無く泣き出した。
訳を尋ねると、「大きいばばがお空に行っちゃったから、かかもお空に行っちゃうんじゃないかと思って悲しくなった」と言う。
妻によると、実家で、3年前に亡くなった曾祖母の話をしたそうだ。ツーショットの写真は残っているが、記憶にはほとんど残っていない様子の長男。それでも「大きいばば、好きだったなぁ」と懐かしんでいたらしい。

私が死というものの存在をはっきり認識したのは、小学校低学年の頃だ。親戚の葬儀のために、隣の県の山奥まで行った。車を降りて坂を登ると大きな家があり、その周りにはたくさんの大人がいた。
初めて経験する葬儀というだけでも落ち着かないのに、その会場が一度も行ったことのない山奥の家である。会う人会う人知らない人ばかり。
お経、黒い服、涙。寝ているおばあちゃん、運ばれていく棺。骨。
目にするもの、耳にするもの、すべてが悲しかった。
今思えば大往生であっただろうと思うから、比較的参列者は落ち着いていたのかもしれないが、当時の私はそれが理解できるほど人生経験が豊かではなかった。
その日からしばらく、命とは、死とは、時間とはと考えて、なかなか眠れなくなった。正直に言えば、今でもたまにそうだ。ただ、幼い頃とは違うのは、自分には血を分けた息子たちがいることと、お酒を飲むことができること。それで、昔よりはちょっと楽だ。

長男を見ながら、何と言おうかと悩んだ。長男にかけるべき言葉は、かつての自分にかけるべき言葉だ。寂しくて悲しくて仕方がなかったあの頃の自分には、何が言えるのだろう。
本当は何も言えない。でも、何か言うべきだ。
私は、できる限りの本心で、
「君が寂しがっている間は、お空には行かないから、大丈夫」
と答えた。
しばらくして長男は泣き止んだ。でも、私の言葉を聞いて何を感じたかは分からない。

私たちは生きている。
何が起こるか誰にも分からない未来があって。
何が訪れるか確実に分かっている未来がある。
そんな理不尽とも言える毎日を、少しでも良くしていこうと奮闘している。生きていることはそれだけですばらしいことだ。

学生時代、学校は人生の縮図だと言った部活の先輩がいた。
大学1年生は子ども、2年生は兄姉、3年生が親で、4年生が祖父母だという。
当時1年生で、先輩方に手厚く育ててもらっていた私は、確かにその通りだと納得したものだ。

教師は、そんな人生の縮図を近くで見守り、無事を見届けるのが仕事だ。そう聞くと楽なように思えるかもしれないが、全くそんなことはない。


教師をしんどくさせるのは何か

今や周知の事実であろうが、教師という仕事はしんどい。  
もしかしたらそのしんどさは、授業の準備や事務作業といった日々の雑務業務に追われていることが大きな要因であると思われているのではないだろうか。

確かに、授業をするためには相応の準備をしなければならない。また、パソコンの普及とともに事務作業が楽になった反面、求められる仕事の質も量も増えているのも事実だ。

それらの仕事が多忙化の一端を担っていることは間違いないとは思う。しかし、実のところ、教師をしんどくさせる主要因はそれらではない。

怪我、喧嘩、いじめ、不登校。

自分の裁量ではどうにもならないことが苦しいのである。
もちろん、発生を防止することはできる。しかし100%何も起こらないようにするのは不可能だ。

怪我について

これまでにやったことないことをやってみたいと思い、思うだけでなく実際ににやってしまうのが子どもだ。
何かがぶら下がっていたらジャンプをして触ろうとするし、高いところに立っていたら飛び降りようとする。

高いところにある窓を閉めようとしてジャンプし、その下にあった別の窓に膝蹴りを食らわせる、なんてこともあった。全くの善意から怪我をすることだってあるのだ。
結局その子はすぐに病院へ行き、数針塗った。けろっとしていて縫われている間も落ち着いていたそうで安心したが、教師側は落ち着いてはいられない。

病院への児童への付き添い、保護者への説明。
窓ガラス修繕の連絡。
今後同様の事故が発生しないようにするためのルール検討。
保険関係書類の準備。
事故について記録する書類の作成。
完治するまでの学校生活、学校行事のフォロー。
体育など数週間受けられない授業のフォロー。
複数の教員が分担して行うとはいえ、一つの怪我からたくさんの仕事が生まれることは確かだ。

ただ負担が増えるだけではない。
怪我した子にエネルギーを使いすぎると、他の子に気が回らなくなってしまい、次の問題が発生しやすくなってしまうのだ。

喧嘩について

喧嘩が起きたら、状況によって対応はさまざまだが、「両者が納得して解決できるようにする」ことが最も重要だ。
そのためには、どちらにも寄り添いながら、中立な立場で指導したい。両者から話を聞くことはもちろん、周りにいた子どもからも話を聞く必要がある。
休み時間は10分から20分程度であることが多い。日頃休み時間がもっと長ければいいのにと子どもたちは言うが、それは教師も同じである。短時間で必要な情報を手に入れて解決策を検討し、また短時間で指導する必要がある。指導中は、丁寧に、でも余計なことを言わないように注意しながら話をする。失敗したら長期化したり、保護者も絡む大きな問題に発展したりする。早期解決が誰にとっても良いのは自明だ。
だいぶ前からの因縁であるとか、恋愛が絡んでいるとかであると、長期化はやむをえない。担任としては解決を願っているが、自分だけではどうにもならない要素が多い場合も往往にしてある。

いじめについて

両者のパワーバランスが対等ならば喧嘩になるが、片方だけが強い場合だと、いじめに発展する。いじめと一口に言っても、発生する理由は様々で、そのため解決方法も毎回違う。
今は、「被害を感じているのであれば、全部いじめ」ということであり、例えば「あいさつをしたのに返事してもらえなかった」「遊ぼうと誘ったのに断られた」というものから、犯罪と表現しても良い事例まで「いじめ」ということになっている。

ここで、架空の事例を使って考えたい。

Aさんが、被害を訴えてきた。
BさんとCさんが、自分を仲間外れにしてくると言う。
そこで教師はBさんとCさんから話を聞いた。
そこで聞いた話によるとこうだ。
先日Aさんが、ライングループから退会したらしい。次の日、学校で顔を合わせてもそのことについて説明は無し。BさんとCさんは、どうしてAさんは、退会したのだろうと思ったが本人には聞けず、自然とAさんと距離を取るようになった。
教師がAさんに確認すると、退会したのは事実であった。理由を尋ねると、Aさんは「なんとなく。でも学校では仲良くしたい」と答えた。

ここで教師は、BさんとCさんに指導するべきだろうか。でも、なんと言えばいいのだろう。ライングループを「なんとなく」退会する人と距離を取ろうとするのは、悪いことなのだろうか。
しかし、BさんとCさんがAさんを遠ざけているのは事実だし、Aさんは自分に落ち度があったとは思っていない。自分の行動が不適切であったと気付けるように話をしてやりたいが、Aさんがすぐに話を理解できるかは分からない。理解できないことを指導するのは逆効果だ。

かと言って、安易に「それはいじめじゃないでしょう」とは言いにくい。アドバイスをしたつもりが、「先生は私の話をちゃんと聞いてくれなかった」ということになり、信用を失うこともある。

不登校について

不登校、不登校傾向のある児童の問題を解決することは大変難しい。
そもそもの話だが、学校に通うことが全ての子どもにとって本当に良いことだと言い切れない。「問題」なのか、ということである。トーマス・エジソンのようなケースだってある。

とはいえ、多くの場合は、本当は学校に行きたい、行きたくはないが行こうとしている子どもがほとんどだ。教師としては、せっかく学校に来てくれるのだから、充実した時間を過ごしてほしい。

しかし、実際に登校したとして、本当にその子が充実した時間を過ごせるという確信が持てない。やってみないと分からないのだ。
できる限りのことをやっても、うまくいかないかもしれない。
自分のやろうとしていることは間違っているかもしれない。
そんな気持ちを無理やり拭いながら、「今日は来るかな、明日は来るかな」と、待ちわびる。


「教師のバトン」というフレーズが話題になってしばらく経つ。今では、ポジティブにもネガティブにも使われているこの言葉であるが、確かに教師はバトンを持って走っているのかもしれないと、今さらながら思う。

誰にもらったバトンなのか、誰に渡すバトンなのかは分からない。
しかし少なくともバトンがあるということは、自分勝手に走っているわけではないということだ。
相手がいる。
責任がある。
そしてゴールが決められている。

練習を積み重ねることで、足の速さは鍛えられる。
だが、どれだけ足が速くても、バトンが重いとゴールにはたどり着けない。

先日、職員室で不登校への対策について話をした。そこでの具体的な話は差し控えるが、不登校児童への接し方についての悩みが話題になった。

  • 「学校においで」と伝えたいが、負担にならないだろうか。

  • このまま家庭訪問を続けていて、本当に学校に来られるようになるのだろうか。

  • プレッシャーにならないようにしつつ学校に意識を向けられるようにするには、どのくらいの頻度で声をかけると良いのだろうか。

  • 保護者とどのように連携するのが、本人のためになるのだろうか。

みんな、自分たちのやっていることに意味はあるのだろうかと疑心暗鬼になりながら、日々を過ごしているのだ。
教師のバトンを落とさないようにと強く握るが、そのバトンは重い。

話が終盤に差し掛かったころ、校長先生が口を開いた。
「理科の実験で、液体の性質によって色が変わることってあるじゃないですか。一滴一滴薬品を垂らすんだけども、全然色が変わらない。でも、ある時、パッと色が変わることがある。学校に通おうとしているけれど通えてない子っていうのは、色が変わるための力を貯めているんだと思います。だから、無駄なんてことはないです」

その言葉を聞いて、職員室の空気は少しだけ軽くなった。落ちそうなバトンも握り直すことができたように思う。

後日校長先生に詳しい話を伺うと、それは河合隼雄の言葉を引用したとのことであった。
さらに校長先生は、こんな話も紹介してくれた。

「学校に登校している子たちの心は、『行きたい51、行きたくない49』なんだそうです。私たちだって、学校に行きたい気持ちが100で来ていないでしょう?『不登校』と言うけれど、登校している子との差はそんなにないのかもしれませんね」


学校が人生の縮図と言うのであれば、教師は一体何なのだろう。

「ハチミツとクローバー」というアニメ(原作は漫画)で、「いったい教師というものは・・・永遠に卒業できない 学校の亡霊のようなものなんだろうかの?」というフレーズがあったが、まさしくそうなのかもしれない。

人の目には見えないが、人がいなければ存在することができない。
大きな干渉はできず、いつもは人の様子を静かに見守っている。
その行動に必ずしも意味があるとは言えないが、意味がないとも言い切れない。

そうか、学校の亡霊か。道理でバトンが落ちそうになる訳だ。
でも、亡霊なんて言ったら長男が悲しむかもしれないから、「学校のご先祖様」くらいにしておこうかな。

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