教師は自己満足するしかないけれど
今年もまた、旅立っていきました。
思い入れのある学年ではあるけれど、自分が最後の担任ではないので卒業式の緊張や感動はほどほどに。いかに式を滞りなく進行させるかを意識して過ごしました。
子どもたちにとっても、6年生の担任は特別だと思います。
しかし、それでも数人の子が、式の片付けをしている私のところまであいさつに来てくれました。
不登校傾向だった子の両親も来てくれました。
その子は、5年生だった当時、学校に行きたくないと言うことがあって、そのたびに家庭訪問しました。他の先生が私の学級の授業をしている時間を使って家に行き、彼の好きなゲームを一緒にプレイしたこともありました。
本人も両親も、私の訪問をいつも受け入れてくれました。だから私も、家庭訪問は大変だったけれど、嫌ではありませんでした。
6年生になり、徐々に欠席することが少なくなりました。
卒業式での姿は、立派なものでした。
小一時間ゲームをしたけれど、その日、学校に連れていくことはできなかった。
果たして自分の行動に意味はあったのかと思うこともあったけれど、「あの子が元気に過ごしているのは、先生のおかげです」という言葉をいただきました。
多くの方に声をかけてもらい、私は嬉しさよりも安堵を覚えました。
卒業式の後にわざわざ来てくれるだけのことは、やれていたようだ、と。
教師は、基本的には自己満足の仕事です。
やらなくても構わないけれど、やろうと思えば際限なく増える仕事ばかり。
自分のした仕事によって、子どもにどんな影響があるか、はっきりとは分からない。すぐに影響が出るとも限らない。
また、学校のルールはあれど、指導の仕方などは教師自身が決めなければならない場面が多いため、確固とした教育方針をもつことが大事。
授業も生徒指導も生き物。状況によって正解は変わります。正解があるのかどうかも不確か。
子どもの前では自信をもって指導するものの、それは子どもが困らないための演技であって、下校後に「あの指導の仕方は適切だったのか」「指導したことで子どもの心が離れたのではないか」「子どもに嫌われてでもやるべき指導だったのではないか」などと、考えを巡らせることもよくあります。
学校現場では、テストの点数や、アンケートの結果など、数値で結果を判断することもできます。しかし、その結果さえ良ければ、子どもたちの将来が必ず良くなるというものではありません。
他の業種の方にも似た面はあると思いますが、自分で判断して、自分で反省して、自分で満足していくしかないのです。
教師は自己満足するしかないけれど、こんなふうに声をかけてもらえた瞬間だけは、本当に役に立てたんだと実感することができます。
別に感謝の言葉が言われたくて働いているわけじゃない。でも、感謝の言葉をもらえることで、当時の苦労が報われる気がします。
今受けもっている学級、学年についても、指導方法を悩む日々。
断固とした姿勢で指導するべきか、もう少し様子を見るべきか。
叱るべきか、怒るべきか。あえて褒めるか。
褒めるポイントはどこか。どのように褒めるか。
それもまた、いつか、報われる日が来るのかな。
明日も、仕事、がんばろう。
この記事は、2017年3月に書いた日記をもとにしたものです。
2023年3月現在。
当時の日記を読み直すと、今よりも若くて前向きで、元気をもらえる気がします。
話に出た、不登校傾向のある子は、中学校でも時折欠席していたようです。でも、何とか登校しようという意思はあったとのこと。
今は、18歳くらいかな。
18歳の彼にとっては、小学校時代の思い出なんて遠い昔の話でしょう。
でも、自分は、ちょっと前にあったことのような気がしています。
年を取ると、時間の流れが速い。
結構前のことでも、最近起こったことのように感じます。
幼い頃、祖母が、「最近・・・」と言って、その話が10年以上前の話だったことがあったけれど、36歳になった今は、その感覚が分かるような気がします。
本当に、最近なんだよなぁ。あまりに時間の流れが速いだけで。
年を取るのも悪くないです。
遠い思い出を、いつでも身近に感じられるから。
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