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ひとってあいくるしい
クラッシャーと呼ばれる人と接する機会や、理不尽な怒りや矢を向けられた瞬間
心に余裕がある時に考えることができる思考の一つ
”どんな人でも「3歳」があった”ということ
本人の無意識下で
人を攻撃し
周りにひとがいなくなってしまう人
自ら離れていく人
そんな人でも”「母」がいないと生きられない生まれた瞬間”があったこと
”甘酸っぱい初恋”があったこと
”悔しくて涙を流した瞬間”があったこと
”別の誰かに攻撃され、苦しんだ瞬間”があったこと
人を攻撃し、
自分を大きく見せて、
引くに引けず、
柔らかさがない生き方でしか、
生きることができない
そんな人と接する中で
①まともにダメージを喰らってしまう時
(自分に余裕がない、もうやめてくれのLOW状態)は
「避ける、逃げる」で防衛する
②ちょっと調子が良い時
(なんやねん、その言葉と態度状態、こちらも冷静に俯瞰できないタイプの自分に余裕がないHIGH状態)は
「戦闘体制で向き合う」
③自信や、心が満たされる出来事があった時
(この人を知りたい状態)は
「その背景」を想う
今日は、その③のおはなし。
なぜ相手の気持ちを想像できないのだろう?
☝️まず、上から目線(私が王様、正しい)でその人を見ている
その後、思考を切り替え、「私は傷ついたんだ」と自分の思考を認める
ここから「その人を知りたい」が始まる
ご両親が厳しかった?
愛されていると感じることがないままなのか?
向き合ってくれる人と出会うことなく今まで来たのか?
もしかして自分自身の生き方に苦しんでいる?
理詰めばかりの仕事環境だった?
結局、コミュニケーションを取らなければ
その人の心からの言葉を聞かなければ、聞けたとしても
本音は分からないままかもしれない
ただ、「この人無理だ」とこちらから扉を閉め続けた人からも
学べる感情や思考が私はあったようだ
そして、その「無理だ」と許せない部分は
自分自身が大切にしていることや、想いだったりする
自分の信念に気づけるきっかけともなったようだ
ただただ
合わない人と一緒にいることは、めちゃくちゃエネルギーを使うことなので
本当に余裕があると自覚できている時以外は、向き合わない
いちばんは自分を守ることを意識しなければ
人間関係に自分から巻き込まれ疲弊がちな自分を助けながら日々生きている
ただただ私は、「笑っていてほしい」だけなんだけどな
と考えつつ、クラッシャーではないが
頑固者の父を想った。