【ベトナム縦断記#1】カオスなハノイ、翻弄される私
プロローグ
2024年9月、半年ぶりにまた1人で旅に出た
テーマはベトナム縦断
旅の理由は前回のタイ一人旅の感覚が忘れられなかったのと、今の自分がいる半径数メートルの現実から逃避したかったから
今回は大学という社会に対して、音痴な一人の人間がベトナムを縦断して得たもの、失ったものを記録する旅行記である
0日目-タトゥーの救世主
夜の11時、ベトナム首都ハノイに到着
飛行機に乗る前にアクティベートしていたはずのe-SIMが起動せずに焦ったが、設定をごちゃごちゃ操作したら20分くらいして何とかいけた
3時間から20分、大きな成長である(前回参照)
空港から外に出るとすぐさま、東南アジアに来たことを歓迎するかのような生ぬるい風が迎えてくる
東南アジア御用達のgrabで予約していたホステルに向かう
30分ほどして、目的地に到着
しかし、、、ホステルがない
Googleマップ、予約したagoda
彼らを信じてそこから決死の捜索活動が始まり、何とか看板を見つける
看板の指示通り、狭い雑居ビルを進み、2階に上がる
するとフロント…ではなく、ガラス張りの部屋で5人組くらいの男女がタトゥーを掘っていた
もう意味が分からない
ここまで来たら行くしかないので「エクスチューズミ〜」
意を決して中に入る
彼らとしても「???」だっただろう
拙い英語を駆使して名前とこのホステル(?)を予約したことを伝えると、「もしかして日本人の方ですか?」
別の角度から日本語が返ってきた
彫られている人が日本人だったのだ
なんという奇跡
40代くらいの日本人男性が全て通訳してくれてホステルの人を呼んできてくれた
ホステルのフロントは別の場所にあり、尚且つ受付時間が過ぎていたみたいようだ(ここら辺のシステムはよく分からなかった)
ようやく寝床にありつく
荷物を部屋に置き、適当に近くにあった外の屋台で飯を食べた
1日目-青のステンドグラスと抵抗のイズム
激動の0日目を終えて本格的な1日目
青のステンドグラスがハノイの朝を映し出す
まずは宿から近いホアロー刑務所に訪れた
当時ベトナムを占領していたフランス植民地政府によって作られたもので、多くのベトナム人が投獄された
東南アジアの「最恐観光スポット」として、米CNNに選出されたこともあるらしいが、そこまでの怖さはない
街に戻る
やけに国旗が飾られているが、調べてみると9月2日はベトナムの独立記念日らしい
ベトナムは中国、フランスに植民地にされ、つい最近には大国アメリカと戦った歴史を持つ
ベトナム史とは抵抗の歴史であり、だからこそ独立というのはベトナム人にとって日本以上のものがあるのだろう
ベトナムは19世紀後半から20世紀までフランスの植民地だったので、教会やカフェが非常に多い
特にカフェは至る所にある
日本より値段は安いが、レベルは断然高い
続いて向かったのが、タンロン城
中国から独立を果たした1010年から1804年までほぼ一貫してベトナム諸王朝がここに都を置き、各時代の遺跡が残されている
建造物として凄さはあまり感じないが、歴史を学んでくるとよりその凄さみたいなのが伝わるのだろう
知識が乏しい自分にとってはその凄さを100%受容しきれなかった
それにしても衣装を着て踊るTikTokerらしきやつらがめちゃくちゃいる
インスタバエとかいう蔑称が一時流行したが、単に写真を撮るのに比べ、こちらは動画を撮って踊る狂うのだがら害悪度は断然高い
日本にも伝来してこないことを心から祈る
お腹が空いたのでバインミーを食べに行く
値段は200〜300円ほど
サクサクのフランスパンと様々な具材がマッチしており、旨い
一通り、観光したので夜はハノイの旧市街へ向かう
道路は完全に歩行者天国となるが、人が多すぎてもはやこれが歩行者にとって天国なのかも分からない
プラスチックの低い椅子で東南アジア特有の薄いビールを流し込む
目の前で人が、経済が、熱気が渦巻いている
日本だと人混みは嫌いなのに、なぜかこの時ばかりは心地よい
ベトナムは自らで自由を勝ち取った
そのことにベトナム人はおそらく誇りを持っており、それは建国記念日の今日、街を歩いても感じられる
「ベトナムが完全に自由だ」と言い切るつもりはさらさらない
ベトナムは社会主義国であり、政治的な自由はないだろうし、金銭面的にも自由でない人も多いはずだ
それでもベトナムにはベトナムならでは自由がある
世界中どんな国でさえ、このことは当てはまるはずだ
一人旅とはその国の屈折した自由と不自由を往来する、そうした行為なのかもしれない
ベトナム1日目はこんな日だった
旧市街にあるおすすめのカフェ(上記の通り、群衆を羨望できる)
スキ、フォロー、コメント等を良かったら是非
(今後の投稿の励みにもなります!)
#2はこちらから
こちらも是非