介護保険で住宅改修 母のために引っ越し 引っ越しPart2
ぼやいてはいられない。気を取り直して引っ越し、引っ越し。
母は、入院中に介護認定を受け直し、いきなり要支援1から、要介護2に認定された。
腰痛で起き上がりも困難な状態だったので、その時点ではそういう認定になったものと思われる。
家の玄関は狭く、上り口が高い。踏み台を設置。
右側には腰高窓があるため、左側に短めの手すりを付ける。
床おき式の手すりを母の部屋から、ダイニングにかけて数個設置。トイレの入り口横にも手すりを付け、トイレドア開閉時の姿勢を安定させる。
室内は手すり、杖等を使用すれば何とか移動出来そうだった。外出は車椅子を使用。
福祉用具のレンタルや家具の配置、生活上の留意点など、入院中の病院のPT(理学療法士)さん、新しいケアマネのSさん、ソーシャルワーカーさん達が実際に家の中に入って、アドバイスしてくれた。
母の腰痛は順調に治っていった。リハビリも積極的に頑張ったようだ。途中インフルエンザに罹患したが、年齢の割にはすんなりと治癒して、医師やPTさんたちにも驚かれていた。
トイレは綺麗に改修出来た。
便器横にはL型の手すりも付いた。焦茶色の床の色に合わせて和風の感じの壁紙を貼り、古い壁が隠れると、なかなか趣きのあるトイレへと変身した。元大家の不動産屋さんと、介護保険制度に感謝である。
引っ越しは3月。
寒々しい。いや、寒い、やたら寒い。古い木造住宅はとにかく寒かった。畳の下から、しんしんと冷気が伝わってくる。お風呂場はよく見ると、天井近くに湿気を逃すための孔があるではないか。
外からの風が冷たい。
木製の窓枠はボロボロである。見ないようにした。
では夏は涼しかったか。
否だった。
直射日光に灼かれた屋根からの熱気で、暑い。いくら窓が多くても女所帯、開けっぱなしには出来ない。
夏も冬もエアコンはフル運転で、未だ見たこともないような電気代の請求にビビった。
水回りはかなり使い勝手が悪くて、苦労した。
寒く、年季の入ったタイル貼りのお風呂は、最後まで慣れきれなかった。
近くの温泉によく入りに行ったが、毎日とはいかない。
鬱々とした気分で入浴するというのは、結構なストレスだった。
ちょうどその頃、隣県で大きな地震があり、私の住んでいる所もかなり揺れた。余震が何日か続いて、古い家はその度にガタガタと派手な音を立てる。恐怖、倍増である。
幸い被害はなかったのだが。
台風、大雨、寒波、猛暑。
鉄筋のアパートなら、たいして気にもならないが、古い家では、それなりに準備が要るものだ。
すべて私1人でやるしかなかった。
その家に2年ほど暮らした後、公営住宅のバリアフリーの部屋に、運良く入居出来ることになった。
また引っ越しと相成った訳だが、今回は前途洋々の心持ちであった。
思い返してみる。
快適とは程遠い家だった。
寒く、暑い。
高い電気代に泣かされ、傾いた畳に足を取られ(母には、そちら側に行かないよう言い含めていた)、畳の上で寝転がっていたら、すぐ横をダンゴムシが横切っていったり(除虫のための薬剤などもやたらと撒いた)、油断していると柱にカビが浮き出てくるし、防犯上の心配も多かった。
何かと苦労の多い家だったが、
1番の目的は母の出入りをスムースにすることだったわけだから、その目的は果たしてくれたとは言えるだろう。
唯一と言っていいかもしれない良いところは、
狭いながらも花壇があって、ガーデニングが出来たことだ。
種を蒔いたり、苗を植えたり。
土が肥えていたのか、大した手入れもしない割には、色んな花が綺麗に咲いてくれた。
すだれ越しに見るゴーヤや朝顔のカーテンも、夏の楽しみだった。
花の好きな母は、窓から花壇を覗き込んで、嬉しそうに美しいねぇと笑っていたのだった。
その家での2年間、
母のために、
私は本当に頑張った。
そう思っている。
手前味噌ではあるけれど。
住んでも都にはならなかったけれど、その家で奮闘した思い出は、多分ずっと忘れないんだろうと思う。
DIYも上手になったしね。