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母の入院 2


変な咳だと思った。

腸炎は少しずつ落ち着き始めていたが、食欲が戻らず、輸液で栄養を補っていた。
激しい下痢で随分辛かっただろうが、ようやく峠を越したものと思われた。
その頃から、咳が始まった。
看護師に訴えたが、若い女性看護師は首をひねるばかりだった。
あまり、聞いたことのないような咳。
痰が絡んでいるわけでもないのに、ごんごんと響くような湿った感じの咳。
頻繁にというわけでもないので、病棟の医師は見逃しているのではないか。
蜂窩織炎の治療が終わった時点で、担当医は新人医師から院長に変わっていたが、忙しいらしく不在が多かった。

その時も、院長は出張らしかった。
無論、病棟担当の医師が診察してくれていたはずだが、毎日顔を出している私も、その医師の姿を見かけたことはなかった。

咳止めが処方された。
違うんじゃないか、何か。
無論、医療のついては素人だし、大した知識があるわけではない。
でも何かが、食い違っている気がしてならなかった。

食欲は、なかなか戻らないままだった。
担当の男性看護師はこう言った。
食べれていないので、輸液を増やした方がいいと思う。
明日、院長が戻ったら、聞いてみます。
と。
栄養が摂れていないので、そういう処置なのだろうと、疑問は抱かなかった。
水の中から聞こえるような咳も、咳止めが効いた感じも受けなかったが、結局私には何も出来るはずもなかった。
その日、帰り際に母の手を握って、また明日と告げた。母の手が浮腫んでいるように思えた。
点滴の針が刺さった方の腕だったので、点滴のせいで、浮腫んでいるのだろうと思った。

いくつもサインが出ていたのに、看護師も医師も何も見えていなかったのだろうか。
何日か前、おむつ替えの時、看護師が呟いた言葉を聞いている。
あら、おしっこ、全然出てないわ。
それは、看護の記録に残っているはずだ。
俯瞰して見れるのは医師だけかもしれないが、全てスルーされてしまった。
変な咳、尿量減少、浮腫。
医師でも看護師でもない私には、それらの点を線にすることはできなかった。

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輸液を増やしたその日、夕方いつものように病院に行くと、病室が妙にバタバタしていた。
母の病衣は大きく広げられて、胸の辺りに心電図の計測をしているのか、電極が貼り付けられている。母は、呼吸が苦しいと訴えているようだった。母の手足が見えて、それはまるで着ぐるみか何かを着込んでいるように、膨らんで見えた。
何が起きたのか、よくわからない。
利尿剤をかけています。
看護師が言った。
母は恥ずかしいのか、私と目が合うと照れたように微笑んだ。
混乱したまま、私も笑いを返した。

院長から説明があった。
またもや思いがけない展開に混乱していたのと、医学的なことはよくわからないのと、もう一つ、院長はいつになく歯切れの悪い物言いで、事の顛末がそのときはうまく理解できなかった。
肺のレントゲンを見せられて、水が溜まっていると言われた。
心不全増悪という言い方をされたが、これもよくわからない。慢性心不全だったのか?
何かグラフのようなものを見せられて、腸炎による下痢のせいで脱水状態にあり、そこから腎臓の機能が落ち、一時的に腎不全状態になっていたのではないかと言う。グラフは腎機能の検査値のようだった。ならば、その時何も手を打たなかったのか?検査値を見ていなかったということか。
輸液が過剰になったのかもしれない。
呟くように、院長はいった。
その時は、何も理解できなかった。
ぼんやりと、聞いていただけだ。

後で調べたり、色んなことを突き合わせて、自分なりに得た結論はこうだった。
腸炎の下痢症状により一時的に脱水状態になって、腎臓の機能が著しく落ち、心臓にも負担がかかっていた。それにもかかわらず輸液の量を増やしてしまった結果、一気に体液過剰な状態なった。
肺水腫、心不全、そこいらの関係性は私にはよくわからない。
水の中から聞こえたような咳、は、まさしく水が溜まった肺から聞こえていたのだろう。尿が出なかったのも、浮腫も全て理解できるではないか。

サムスカという、よく効く利尿剤が処方された。母は息が苦しいと言って、何度も姿勢を変えていた。
生命の危機という感じは受けなかったが、なぜこんなことになったのかと、涙が出てきた。
そして何より愕然としたのは、担当の男性看護師の言葉だった。

まあ、もうお年ですからねえ、仕方ないですね。

安易に輸液の量を増やす提案をしたのは、他ならぬ自分だとわかった上での発言だろう。自分に責任はないのだ。高齢者にはありがちなことだ。そういう論法らしい。

返事をする気にもなれなかった。
少なくとも家族の前で、そんな言い方はしてほしくない。

そういうレベルの病院だったと、その時初めて気付いた。



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