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『バガヴァッド・ギーターとパウロ書簡』読書会 まとめ(1/4)

Ⅰ アントロポゾフィー(人智学)協会の設立に際して

 シュタイナーはアントロポゾフィー協会の設立に際して、現代の私たちの文化や精神生活に深く関わる人類の二つの叡智について5日間の連続講義を行った。(1912年12月28日~1913年1月1日、年末から正月にかけて!)
 その二つの叡智とは、太古東洋の偉大な詩編『バガヴァッド・ギーター』(神の詩という意味、以下単にギーターと記す)と(西洋)キリスト教の出発点『パウロ書簡』である。シュタイナーはこの二つの叡智の相違、またそれらの現在の精神生活への関わりを示し、協会設立の意義を明らかにする。
 進化における人類(人間)の課題は、自我の育成である。ただし、『パウロ書簡』以降の人類(私たちを含む)における「育成」とは、自我が独立し、自ら進化していくことを意味する。私たちの課題は、(すでにクリシュナの行為において準備されていた)〈キリスト衝動〉が、ゴルゴタの秘蹟において自我に投げ込まれ、自我が自身で進化していく時代のものである。私たちには、太古東洋の叡智を踏まえながら、自らその地平を越えていくことが求められている。
 シュタイナーによれば、『ギーター』は完成された作品である。一方で、『パウロ書簡』は未完であり、その課題は(私たちを含む)人類に委ねられている。シュタイナー自身の比喩によれば、『ギーター』は「美しく開花した花」であり、『パウロ書簡』は「未来においてもっと美しく開花しうる花の種子」である。その種子から未来において生じるものを預言的に見ようとするときにのみ、それを自らに作用させられるのである。(筆者は、この未知の花を「多種多様な(小)花による集合花」ではないかと予想する。)
 『ギーター』に登場する師クリシュナの教義である「創造する宇宙言語」「存在の形成」「魂の祈り」は、それぞれ、キリスト教の「神のロゴス」「ヘブライの律法」「復活した者への信仰」へと通じる。「言葉」「法則」「敬虔(帰依)」においては両者は共通していると言える。
 しかし、『ギーター』の啓示が「自らの営みから自由になること、直接行為する生から自らを解放し、事物の観察へ、魂の沈潜へ、霊の高みへの魂の上昇・浄化へ至ること」に関連するものであり、究極的にはクリシュナとの一体化である一方で、『パウロ書簡』に見出せるのは、「復活」「掟に対して信仰がもつ意味」「恩寵の作用」「魂あるいは人間の意識の中のキリストの生」など、キリスト教の根本真理に関わることであり、それは一人一人が〈キリスト〉という新たな集合魂をつくりあげることに尽力するということであるなる。 

 本連続講義に書かれている人類(人間)の課題は、筆者の読みとったかぎりでは以下の四点にまとめられよう。(はじめの【 】内が『ギーター』における人類の課題であり、の後の【 】内が『パウロ書簡』以降の人類(私たちを含む)の課題であると考えていただきたい。)

⑴【魂が(外的)覆いや覆いとの関係から解放されること】⇒【自らの魂を〈キリスト衝動〉によって貫き、魂(内)においてアーリマン&ルツィファーと闘い、バランスをとること】

⑵【マーヤー(幻影、仮象)である物質世界から抜け出すこと】⇒【物質世界も神の創造(神の顕現)であると認識し直すこと。世界を物質と霊の合一として捉えること】

⑶【自らの営み(行為・欲求・思考)から自由になること】⇒【自らの営みの中に、愛し、信仰し、帰依しつつ、神を示すこと】

⑷【血(縁)から自由になり、血の分化、種族の混合へ移行すること】⇒【各人が自らの天分を自覚し、個において自立しつつ他者と協働し、共同体を構築すること】

 ⑴では、魂において「外的なものからの解放」から「内的なものとの闘い」へと課題が転換している。
 ⑵と⑶は、同一事態の二つの面(対外的世界、対自分自身)である。ただし、⑵は⑴へつながる前段階(キリスト衝動へつながるミカエル衝動)だとも言える。一方で、⑶は、①まず、(低次の)自己を去る、②次に、そこに「本来の人間性」を注ぎ込む、という修行法の二段階とのつながりが見出せる。それゆえ、ここでは二つに分けた。
 また、『ギーター』における⑴~⑶は、いわゆる「解脱(げだつ)」を果たすこと、輪廻転生を望まなくなる状態のことである。そして、『パウロ書簡』においては、「そこから離れること、脱け出すこと」から「その中で取り組むこと」に課題が移る。
 ⑷について、『ギーター』の時代から魂の多元論は認められていた。それが「人類進化の意味とは、魂がますます多様なものになっていくこと」(第5講)へと発展するのである。

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