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『バガヴァッド・ギーターとパウロ書簡』読書会 まとめ(2/4)

2 『バガヴァッド・ギーター』における人類(人間)の課題

⑴ 【魂が(外的)覆いや覆いとの関係から解放されること】

 シュタイナーによれば、『ギーター』には、〈ヴェーダ〉、〈サーンキヤ哲学〉、〈ヨーガ〉という太古インドの三つの精神潮流が合流している。
サーンキヤ哲学によれば、当時の人類の課題は、プルシャ(魂)がその覆い(プラクリティ)及び覆いとの関係(グナ)から解放され、魂的に進化することにあった。
 シュタイナーは、ギーターの物語の時代を紀元前10~7世紀(第四文化期初頭)ごろと幅をもたせている(と筆者には読めた。作品の成立は紀元前5~2世紀ごろとされる。)
 魂の覆い(プラクリティ)は、霊的源流(アートマン)⇒ブッディ⇒アハンカーラ⇒マナス⇒感覚実質(アストラル体)⇒精妙な体(エーテル体)⇒物質体、と順に凝縮し、粗雑になる。
 魂はこの覆いを纏いつつ、物質体まで下降し、展開するが、感覚器官の形成力でもあるマナスが内感覚として感覚知覚の内容をまとめることで魂は物質世界を享受する。魂は物質世界を享受した後、上昇に転じ、逆順に克服しつつ最終的には霊的源流からも解放されることが目指される。
 魂はまた、覆いとの関係(グナ)からも解放される必要がある。魂が覆いに対して劣勢の関係タマス(眠気、怠惰、無気力)、平衡関係のラジャス(激情と情動、存在への歓びと渇望)、魂が優勢の関係サットヴァ(善意と叡智・認識への愛着)という順に、である。サットヴァからの解放は、「善意が当然の義務であり、叡智が彼に注ぎ込まれる」ようになることである。
 そして、覆いからも、覆いとの関係からも解放された魂は、敬虔さの行ヨーガに帰依することで、宇宙的な真理ヴェーダに至る。(そして、高まった自我と宇宙自我が一体となる。)

⑵【マーヤー(幻影、仮象)である物質世界から抜け出すこと】

 ギーターの時代には、物質世界はマーヤー(幻影、仮象)であり、そこから抜け出すことが課題であった。
 『ギーター』に登場するクリシュナ(人類の指導者。一説にはヴィシュヌ神の化身、青い体で描かれることが多い)は師として、弟子アルジュナにおよそ次のように告げる。
「…「うつろうもの」から「うつろわぬもの」へと眼を向けよ。そして、「うつろわぬもの」を体験せよ。感情の働きをともなって…」
 クリシュナは弟子に、永遠なるもの(「うつろわぬもの」)に眼を向け、感情の働きを伴いながら敬虔さの行ヨーガに帰依し、永遠なるものを体験するよう求めたのである。

⑶ 【自らの営み(行為・欲求・思考)から自由になること】

 クリシュナはアルジュナに「自らの営みから自由になる」よう求める。
 「…自分の行為からも自らを解き放ち、傍観者のようにもならなければならない。その行為が引き起こす喜びや悲しみにも動揺せず、その行為の傍らに内的に静かに生きる…つまり、自らの行為から抜きん出て、まっすぐ立つ。また、自らの認識、形成した概念からも区別されて立つ。つまり認識からさえ自由になる。…そしてついにそれが霊的なものにまで上昇するとき、デーモンでも聖なる神々でもすべては私が外部にみる…、私を取り巻く霊的世界で起こるすべてから自由に、私はそこに立つ。私は眺め、私は私の道を行く。そして私が関与するもの、私は同時にそれに関与しない。私は傍観者となった。」

⑷ 【血(縁)から自由になり、血の分化、種族の混合へ移行すること】

 ギーター以前(第三文化期/エジプト・カルディア文化期)の文化は、種族内の血(血縁)に結びついた霊視力によって担われていた。
 ギーターでは、血縁者(伯父ら)の軍との戦いを前に懊悩するアルジュナに、クリシュナが「怖れることなく、戦え!そして、倒せ!」と命ずる。「…お前は義務(ダルマ)を果たすだけだ。」と。
 それでも躊躇するアルジュナに、クリシュナは自らの壮大な姿(「神々でさえ絶えずこれを見たいと憧れている!」)を弟子の眼前に顕すことによって弟子を奮い立たせる。
 弟子は、クリシュナを「ブラフマーよりも尊い最初の創造者」と呼び、畏れ仰ぎ見る。その姿は、最高の自己でありながら、また及びもつかない神的なものでもあった。
 さて、血(縁)に結びついた霊視力とは〈エーテル体による認識〉のことである。クリシュナは、それを〈物質的脳による認識〉へと転換を図った。
 この〈エーテル体による認識〉をシュタイナーは多彩な比喩によって表現する。
 当時の人間は〈平日体〉の内部に有する精妙で霊的な〈日曜体〉によって認識していた。認識の際、〈平日体〉を脱いで〈日曜体〉を纏っていた。(現在は〈平日体〉で認識を行っている。)
 当時の人間は自らの内なる〈蛇〉を地中に伸ばし、〈地球と一体となった認識〉をしていた。クリシュナが、踵に傷を負わされながらも〈蛇〉の頭を踏みつぶし、現在は〈蛇〉による認識はできなくなった。
 ③エーテル性質の中では、脳(を越えて上部)に伸びる神経を根とし、枝は下に向かい、その葉はヴェーダの知である宇宙樹生命の樹/アシュバッタ樹/菩提樹)が見える。そして、その生命の樹に巻きついた蛇としての人間が。
 この樹を見るために、クリシュナはアルジュナに「人類進化の中で獲得したものすべてを諦めよ。そして、古の知恵へと帰還するのだ」と示唆する。他方、文化を平日(普段)使いするために全人類からはこれを取り上げざるを得なかった。
 〈エーテル体による認識〉を人類から失わせるのと同時に、クリシュナはヨーガの主として、アルジュナに人類の太古の叡智に立ち返り、サットヴァ状態においてなお霊を魂的に覆っているものを克服するよう求める。そして、まだ物質の中に下降していない太古の清浄な霊を眼前に導きだし、古い時代の認識へと再び導こうとする。
 自我は物質体の中でのみ自由な自発的自我として獲得されうるので、この転換は必要ではあった。しかし、同時にクリシュナは帰依、沈潜の時の、内的な発見のために、かつて失われたものを再現する道を示唆した。クリシュナは、二重の行為を行っていたのである。

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