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QUEENが夢見た「アメリカ」
前回「思い出のドラマ」について記事にしたところ、なんとこの記事を引用して同じテーマで記事を書いてくださった方がいらっしゃいました。
しかも即日!もうこのフットワークの軽さ!noteはフォロワーさんの記事から派生して記事を書いている方も多く、こんな繋がりに心が温かくなりました。
彩夏(さいか)さん、記事をご紹介くださりありがとうございました。彩夏さんの記事でも「思い出のドラマ」について盛り上がっておられました。
彩夏さんの記事のジャンルは多岐に渡っていて、笑いあり感動あり涙ありと、記事を更新されるたびにワクワクするnoterさんです。
多才でファンの多い彩夏さんに、記事を紹介していただけるなんて。こんな日が来るのだなぁ、としみじみしていました。
彩夏さんといえば、娘さんのアメリカ留学についても書かれていて、これがまた共感の嵐なのです。娘さんを思う気持ちと、天真爛漫な娘さんのエピソードに読者も悲喜交々。
(お断りなく載せてしまってすみません)
子供の夢を応援する親の気持ちというのは、どの時代でも同じなのよね…と、彩夏さんの記事をお読みしながら考えていました。
はい、どの時代でも…というのは。QUEENのことです。彩夏さんの娘さんに乗っかってQUEENを語るという。(スミマセン。苦笑)
QUEENのブライアン・メイも、アメリカで夢を叶えた時のことをしみじみと語っていました。
ブライアンといえば、電気技師の父親と一緒にギターを製作したことは有名ですよね。通称「レッド・スペシャル」は、お父さんとブライアンのお手製ギターです。
それにしてもいくら息子が可愛いとはいえ、一般の会社員が本格的なギターを作るなんて、どんなハイスペックなお父さんなんだ?と思いますよね。
ブライアンのお父さんも、実はミュージシャンを夢見ていたそうです。しかし、戦争が始まり夢を断念。終戦時には妻がブライアンを身ごもっていたため、会社員として生計を立てる道を選んだそうです。
一人っ子のブライアンはインペリアル・カレッジで物理学の学位を取得した後、大学院で天文学を学んでいました。(2007年に博士号を取得)
ちなみに望遠鏡も父と二人のお手製で、親子で夜の空を眺めていたという。ブライアンの天文学への興味は父親の影響もあったのでしょうね。
ブライアンの両親は息子は学業を追求し、堅実な仕事を選ぶものだと思っていたのでしょう。ところがブライアンは音楽へのめり込んでゆきます。学業そっちのけで、音楽へ没頭するブライアンに、父親は業を煮やしていたそうです。
そしてしばらくブライアンに話しかけることはなかったそうです。
そんなブライアンがQUEENで成功し、アメリカ、ニューヨークのマディソン・スクエアガーデンで行われたコンサートに両親を招待した時のことを感慨深く語っていました。
会場に両親がいると思った瞬間、感動で何とも言えない気持ちになったと。
QUEENにとって、やはりアメリカでの成功は目標だったのですね。
デビュー前のブライアンが、成功を夢見て作った曲があります。こちらは、フレディが加入する前のバンド「スマイル」時代に作った曲です。ボーカルは、ティム・スタッフェルでした。作詞作曲はブライアンとティム。ドラムはロジャーです。
◼️Doing All Right(QUEEN)
公式YouTubeがなかったので、Apple Musicでどうぞ。
スマイル時代のこの曲は、フレディのボーカルで一部歌詞を変えてQUEENのファーストアルバムに収録されました。
「ボヘミアン・ラプソディ」の映画の後に発売されたアルバムには、なんと「スマイル」のメンバー、ロジャー、ティム、ブライアンがボーカルを取って収録されているという、とてもレアな曲です。歌詞もQUEENバージョンとは違います。
Where will I be, This time tomorrow ?
明日の今頃 僕はどこにいるのだろうか?
Jumped in joy or sinkin’ in sorrow.
歓喜に浮かれて飛び跳ねたり
悲しみの中に沈んでいるのか
Anyway, I should be doing all right.
いずれにしても きっと僕は大丈夫
Doing all right.
上手くいくはずさ
成功を夢見て、こんな歌詞を書いていたんだな。と若き日のブライアンを振り返るきっかけにもなる素敵な曲です。
ブライアンのお父さんは、QUEENが行った世界ツアーの地図をマークして、全てチェックしていたそうです。息子の幸せを陰ながら応援していたブライアンパパなのでした。
アメリカで成功した息子の姿を、観客席から見ていたご両親は誇らしかったことでしょうね。
(この後アメリカでのQUEEN人気は低迷してしまったのは置いておいて…)