白のユキ
1週間経ち、2週間が過ぎ、我が家にきて1か月になる頃には、ユキはすっかり家族の一員になっていた。
うっかり外に出してしまっても、もう逃げだしたりしない。
無警戒に仰向けになり、腹などさすってやると気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らす。
かと思えばプイと我々から離れ、気付けば階段の踊り場の壁紙に爪を立て、内装をボロボロにしている。叱ると上目遣いにこちらを見つめるのだが、反省した風はなく、数日後に違う場所で爪とぎをしては、新たなターゲットを引き裂いていく。
生き物を飼うわけだから、それなりに大変なのはわかっているつもりでいた。実際に経験すると、気ままなネコの生態に面食らったが、それ以上に大変だったのはユキにかかる諸経費である。
食事代、トイレの砂代、猫用グッズ、健康診断、ノミ・ダニ予防など、当時は小学低学年の息子と保育園の娘だったからまだよかったものの、思った以上の出費だった。健康保険の対象外だから、医療費は10割負担である。
意外とネコは、排泄物が臭う。脱衣所にトイレを置いていて、匂いにいちばん敏感な僕が必然的に処理係となった。
自分で体を清潔にしてくれるので、シャンプーがたまにでいいのは助かる。洗う時がまた戦いなのだ。爪を立てて抵抗するから、ある程度武装して臨んだ方がいい。ネコにその気はなくても、顔は危ない。
後年、息子が彼女の実家でそこの飼い猫とじゃれていて、目をやられた。ちょっと角度が違えば、失明の危険もあったらしい。かわいいペットのようでも、本来は狩猟動物なのだ。
いちばん参ったのは、抜け毛の多さだ。白くて細い毛が、家じゅう至る所に付着する。
会社勤めで日ごろスーツを着るわけだが、油断をすればあちこちに付いていて、これが結構取りにくい。妻や娘はベッドでユキと寝たりするから、こっちもとばっちりを食らうわけだ。出社前の習慣に、熱心なブラッシングが加わった。
いろいろ大変なわけだが、犬の忠誠心と異なる人との距離の取り方は嫌いでない。
機会があれば拾った犬の話もしたいが、3日だけ一緒に暮らし、実家に託した小型犬の僕に対する反応と言ったらなかった。
一宿一飯の恩義というが、母親がいかに愛情を注ごうと、帰省した際には僕にくっついて離れない。犬好きの人の気持ちは、とてもよくわかる。
ネコは真逆に見えるが、一緒にいるうちなんとなく心が通い合うのが分かってくる。独り暮らしのお宅であれば、やっぱりいてほしくなる存在だろう。
ある時、何が原因だったか怪我をして、獣医師に見せると治療が必要と言われ、ユキを一晩預けることになった。
こうなると、初めて保育施設に我が子を預ける親の心境である。ネコは子供のように泣き叫んだりしないが、動物病院を後にするとき後ろ髪を引かれる思いがして仕方がなかった。一泊料金がまた、僕が泊まるビジネスホテルなんかより高くつくんだ。
帰ってきたユキの首には、シャンプーハットみたいな保護具がつけられていた。
エリザベスカラーというらしい。犬や猫が傷口をなめることで傷を悪化させないよう、首の周囲に装着するらっぱ状の器具になる。
16世紀イギリスのエリザベス朝時代に流行したラッフル(ひだ飾り)の形に似ていることから、この名前がついたそうだ。
見ている方がストレスになりそうだが、実に不自由なその格好で、数週間過ごしていた記憶がある。ネコが病気やケガをしがちな生き物であると知ったのも、飼い出してからのことだ。
このまま僕たちと暮らし、この地で一生を終えるものとばかり思っていたユキだが、半年が過ぎたころ義父から思いもしなかった要請がくる。
ユキを大磯の実家に、返してほしいというのだ。
イラスト hanami🛸AI魔術師の弟子